国際政治・アメリカ研究

    ■トピックス――国際事情・アメリカ事情  
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目 次

《2011年12月》
年末の挨拶
大阪都構想は実現するか(岩月沙耶)
社会保障と税の一体改革について(山内千晶)

《2011年9月》
(雑感)ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」の歌詞




《2011年12月》

 年末の挨拶

  年末に帰省の予定を伝えると、喜寿を過ぎた父親からの返信で俳句が送られてきた。

  「机拭くただそれだけの年用意」(西岡三四郎)

  皆さん、よいお年を。(2011/12/30)

 


大阪都構想は実現するか(岩月沙耶)

 2 都1府1道43県になる日は来るのだろうか。11月27日の大阪市長選挙において、「大阪都構想」を掲げる大阪維新会代表の橋下徹氏が当選した。大阪都構 想とは、2015年の実現を目指し、現在の大阪府を大阪都に移行する。また、政令市の大阪・堺両市を解体し、中核市並みの権限と財源を持つ人口30万から 50万人の「特別自治区」に再編するというものだ。それらにより今までの府と市の二重行政を一本化でき、税金の無駄をなくし、地域経済の活性化をもたらす ことが期待されている。また、橋下氏は国際的な都市間競争に負けない都市づくりを目指しているという。しかしながら、大阪都構想の実現可能性には、疑問の声もあ る。

  都構想が実現すれば、二重行政をまとめることで仕事を整理して無駄をなくすことができる。また、特別区における区長公選制により民意を反映しやすくなるとい う利点があるといわれる。しかし、都になったからといって、国の権限や財源が大阪都に移動するわけではないため、財源はサービスの水準を下げるなどして、 生みだすしか手がない。また、その財源を都と特別区で配分する際に、各区に不公平でないように都区間で財政調整をすることが必要であるが、生活保護率で最 大4倍、市税収入額で最大10倍の差が生じ、区ごとの格差が固定されると指摘されており、地域の利害が絡めば難航は避けられないだろう。

 都構 想実現には府議会、市議会で都へ移行することの決議が採択され、府、市の住民投票で過半数の賛成を獲得する必要がある。さらに、現行の地方自治法は「都区 制度」について東京以外での適用を想定しておらず、道府県を都に移行する手続きが定められていないため、都構想の実現には国会で地方自治法の改正または特別 法の制定が必要である。つまり、国会議員の賛成が不可欠ということである。橋下氏はもし国会議員の協力が得られなければ、次の衆議院選挙で近畿圏に大阪維 新会の候補者を擁立するという。こうした言動に対して、自民党は「大都市問題に関する検討プロジェクトチーム(PT)」、公明党は「地方分権・地方主権推 進本部」で議論を始める予定であり、また、みんなの党は地方自治法改正案の素案をまとめた。次期衆議院選挙を見込み、大阪で着実に支持を得てきた大阪維新 会に近いことをアピールする狙いがあると見られる。

 大阪市幹部や市民からは橋下氏の描く都構想の具体像や詳細な制度設計の説明を求める 声や、改革の道程の難しさを指摘する声が上がっている。東日本大震災の復興やTPPの問題に追われる日本政府が2015年までの約4年間のうちに迅速に対 応し、国民の賛同を得られるだろうか。都構想はまだ議論の俎上に乗せられたばかりであり、実現への道のりは険しい。(2011/12/24)

(参 考文献)「『大阪』都構想」『西日本新聞』(2011年11月28日); 「『府より市』実施が効率的 大阪都構想の問題点検討」『47NEWS(共同通信)』(2010年10月14 日); 『日本経済新聞』(2011年11月28日、12月11日、15日); 『毎日新聞』(12月10日、14日)

 
社会保障と税の一体改革について(山内千晶)

 16 日、民主党は、社会保障と税の一体改革における社会保障分野の改革案をとりまとめた。今後は、消費税増税の時期や税率をめぐる税制改革論議に重点が移さ れ、年内に一体改革素案をとりまとめる方針である。しかし、国民の側からすると、これまでの議論によって未来のあるべき社会保障の姿がイメージできたとい う実感は少ない。むしろこれから議論を詰めるはずの消費税増税の方が、現実的に受け止められている。

 そもそも、社会保障と税の一体改革 の原案をとりまとめたのは、6月2日、菅政権の「集中検討会議」であった。@年金改革、A高額医療の負担軽減など医療・介護改革、B子育て支援と若者雇用 対策、C生活保護受給者の自立支援強化が優先課題として位置づけられた。これらの改革を実施に移した場合、2015年度には約3兆8000億円の費用が必 要となるが、それと同時に70歳〜74歳の医療費自己負担額を上げるなどして約1兆2000億円分の節約が見込まれるため、新たに必要となる費用は差し引 きで約2兆7000億円と見積もられた。そして、原案では、その財源確保のため、15年度までに消費税率を段階的に10%に引き上げる方針が打ち出された のである。

 ところが、今回の最終案では、医療機関受診時の100円定額負担案や、70〜74歳の医療費窓口負担を1割から本来の2割へ戻す案が先送りにされたため、利用者負担によって節約されるはずの額が減り、若い世代につけが回されるとの批判も出ている。

  消費税には逆進性があり、世論の反発は当然に厳しい。第一生命経済研究所の試算では、消費税が10%に上がると、年収250万円未満の4人家族では、いま よりも年12万円近く負担が増えるが、年収800万〜900万円の世帯の負担増は年19万円で、年収の開きほどには負担の差はないという。しかし、ヨー ロッパ諸国と比べた場合、日本の消費税率はかなり低く抑えられており、その一方で、所得税の累進性は先進国の中で最高の水準にあるのも事実である。高所得 者層にさらなる負担を求めるのも悪くないが、わが国は中所得者層が厚く高所得者層が厚くないので、従来のやり方のままでは高齢化社会を支える安定的な社会 保障の財源が得られない。また、高齢者の福祉を現役世代が支える賦課方式(世代間扶養)を続けていけば、年を追うごとに負担と給付のバランスが悪くなり、 後の世代の負担が重くなる。

 そこで、長期的な日本社会の姿を考えれば、広く浅く国民の税負担を増やし、医療費等は利用者負担へ重点をシフトす る方向で「負担」と「給付」のあり方を抜本的に見直す必要があるという議論は肯ける。ただ、そのような道理を説いてもなお消費税増税に対する不満が拭えな いのは、結局のところ「負担」のイメージだけが実感されており、従来の政策路線が行き着く先との比較において、未来のあるべき社会保障の姿が国民の間で十 分に評価されていないからではないだろうか。(2011/12/14)

(参考資料)『朝日新聞』(2011年6月3日、12月6日); 国税庁ホームページ; 総務省統計局ホームページ。



《2011年9月》

(雑感)ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」の歌詞

  久しぶりにとりとめもない話を一つ。つい先ほど、つけっぱなしにしていたテレビから、ギルバート・オサリバンの名曲「アローン・アゲイン(ナチュラ リー)」が聞こえてきた。ラジオやテレビの番組中によくBGMでかけられる曲であるが、歌詞の内容と曲が使用される状況がいつも決まって驚くほどかけ離れ ている。洋楽をBGMで使用する場合、歌詞の内容はほとんど考慮に入れられず、何となく曲の雰囲気が画面とあっていればよいということなのだろうが、た だ、この曲だけいつものことながらは個人的にどうしても違和感が拭えない。

 「アローン・アゲイン」が番組のBGMでかけられる典型的な状況は、天気のよい 日のほのぼのとした散歩道である。先ほど見ていたテレビ番組では、心に響くラブレターを紹介するという場面で使われていた。しかし、テレビ番組のBGMで いつも使われているこの曲の出だしで何が歌われているかといえば、このまま気分がふさいだままなら、いっそ塔の上から身を投げてしまおうか、という大変に 思い詰めた内容なのである。

 歌詞はその後、およそ次のように展開されている。昨日まで無邪気に過ごしていても、人には別れがあり、いず れ孤独に打ちひしがれる時が来る。なぜ神はこのような仕打ちをするのだろうか。世の中には、心の傷ついた人々が大勢いるが、私たちは彼らにいったい何をし てあげられるだろうか。父に先立たれた母は、私の励ましにもかかわらず傷心を癒やすことができないまま亡くなってしまった。私は、一晩中泣き明かした。こ うして、私は独りぼっちになってしまった(Alone again, naturally)。

  このように、「アロー ン・アゲイン」は、人は誰も本来的に孤独であるという、深く悲しいテーマを扱っている。曲の始めに自殺願望のような内容が歌われるのは、孤独に打ちひしが れた人々の気持ちを代弁し、その人たちに具体的に何ができるかわからないけれども、同じ人間として理解し、共感することはできるということを示すためであ ろう。オサリバンは、このような深刻な内容の歌詞を暗い曲調ではなく、たんたんと、むしろ軽やかともいえる曲調で表現している。そこには、悪くすれば自殺 さえ考えてしまうくらい思い悩んでいる人々に対して、人は皆その孤独な境遇を受け入れて生きていくしかないのではないかという、作者の優しさや思いやりの 気 持ちがこめられているのだと思う。いわゆるポップスというジャンルにくくられているが、とても深みのある芸術的な作品であるだけに、そうした作者の意図が まったく顧みられていないことに違和感を感じてしまう。もし私が番組制作者なら、むしろこの曲は悲しみの底にあり途方に暮れている人々や被災した人々のた めのエールとして捧げたい。(2011/9/19)



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