国際政治・アメリカ研究

    ■トピックス――国際事情・アメリカ事情  
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目 次

《2009年6月》 
「DIYとは、モリスへの共感である」
赤ちゃんポスト、開始から2年(桜井史織) 

《2009年5月》 
新型インフルエンザ対策からみるエジプトの宗教問題――コプト教徒とムスリム(早田萌) 
小沢代表の辞任に寄せて(加納昂祐) 
裁判員制度の施行(追川尚之) 
『学術論文の技法(新訂)』の増刷と訂正
 


《2009年6月》 

・「DIYとは、モリスへの共感である

 私のホームページの一部に「壁一面の本棚の作り方」というコーナーがあるのだが、それを読んだという編集者から原稿の依頼があり、DIY雑誌『ドゥーパ』70号(学研、2009年6月号)に「DIYとは、モリスへの共感である」という雑文を寄せた。壁一面の本棚を作成した体験記をもとに、次のような愚見を述べてみた。

「日曜大工という言葉の穏やかな響きにもかかわらず、実は、DIYには既製品やプロの仕事を拒絶するという意味で、大衆消費社会にあらがう強い意気が隠されている。かつてアーツ&クラフツ運動の指導者であったウィリアム・モリスは、陳腐な量産品で溢れる近代の醜悪な暮らしを嘆き、中世的な手仕事と日用の美を理想とした。DIYとは、そうした反近代の思想・運動にも通ずる面があり、生活に必要で機能的なものを自分でつくることによって、美しい、憧れのライフスタイルに近づこうとする営みであるといえる。」

 21世紀のグローバリゼーションが直面している問題の一つは、量産品による生活の画一化が世界規模で進みつつあることである。日本に関しては、20世紀の間に大量消費社会が完成され、その代償として生活の陳腐化も進んだが、それは19世紀にモリスがイギリス産業革命によって直面した問題の延長であり、21世紀にはそれがグローバル化していくにちがいない。現在、第三世界の人々は貧困にあえいでおり、開発を優先させることは無理からぬことであるが、豊かな暮らしとは単に物で溢れた暮らしではなく、美しい暮らしであると教えられるような日本社会であって欲しいものである。

(参考文献)「DIYとは、モリスへの共感である」『ドゥーパ』70号、2009年6月号。
 


赤ちゃんポスト、開始から2年(桜井史織) 

  赤ちゃんポストの開設から先月11日で2年目を迎えた。2008年度に預けられた子どもの数は25人で、前年度に比べて8人増えた。預けられた子どものうち、身元がわかったのは22人で、子どもの母親の居住地はすべて県外だった。預けられた子どもは、熊本県内外の乳児院で育てられ、その後里親に預けられるか児童養護施設で育てられる。しかし、子どもの預け先の乳児院では、子どもが定員ギリギリまで増え、養育に手一杯だという。児童養護施設においても、職員を増やすことが課題になるだろう。 

 蒲島郁夫知事は「個々の数字について、現時点でのコメントは控えたい。『ゆりかご』の利用が増加していることや県、市、慈恵病院に依然として多くの相談が寄せられていることから、事前の相談態勢を充実することが大事だと感じている」とコメントした。実際、赤ちゃんポストの開設を機に慈恵病院、熊本県、熊本市では妊娠・出産に関する相談窓口が新設され、2008年度で1270件の相談が寄せられた。相談者のうち未婚者が41%、離婚者が7%と、婚姻状態にない人が半数近くを占めた。相談者も赤ちゃんポストと同様に、県外からの人が多い。病院関係者は「相談内容が深刻になっているような気がする。全国的に相談体制が不十分なので、行政は早急に充実させるべきだ」とコメントした。 

 赤ちゃんポストが全国的に広がるかどうかは今の段階ではまだわからない。しかし、熊本県に寄せられる相談件数を考えると、赤ちゃんポストを増やすことよりも、まずは全国的に相談窓口を充実させることを考えるべきである。(2009/06/10) 

(参考文献)『朝日新聞』2009年5月26日;『読売新聞』5月9日・27日;『毎日新聞』5月11日。 
 

《2009年5月》 

新型インフルエンザ対策からみるエジプトの宗教問題――コプト教徒とムスリム(早田萌) 

 4月29日、新型インフルエンザの世界的な感染拡大を受け、エジプト政府はその拡大防止策として国内の約35万頭の豚を全頭処分し、冷凍保存することを決定した。イスラーム教の教えでは豚は不浄なものとされ、食べられることはない。ムスリムが多くを占めるエジプトで養豚を行っているのは、国内少数派であるキリスト教系コプト教徒たちである。国際食糧農業機関(FAO)は、「豚を処分する理由がない。(エジプト政府の対応は)全くの誤りだ」と批判した。また、世界保健機関(WHO)は、「豚肉が感染源になることはない」と明言している。このような批判の中で、なぜエジプト政府は今回、豚の全頭処分にふみきったのだろうか。 

 エジプトは2006年から2009年現在にかけて、鳥インフルエンザが感染、発症している国でもあり、感染者数は69人、死亡者数は26人にもおよんでいる。鳥インフルエンザの流行時に、政府の対策が不十分との批判を浴び、そのこともあって今回の豚の全頭処分にふみきったと考えられる。しかし、2009年5月15日、再び死者が一人出たにもかかわらず、エジプト政府は鶏の全羽処分は行っていない。 

 エジプト政府の新型インフルエンザ対策には、国内の民族問題がかかわっているのではないか。ムスリムとコプト教徒の関係には深い歴史がある。7世紀にエジプトがムスリムによって支配されるようになり、830年に暴動がおこって以来、コプト教は国内少数派の存在となった。それから19世紀にかけてのムスリム支配時代において、さまざまな迫害を受け、今日においてもオスマン帝国時代の法律により、コプト教は教会建設や礼拝の自由が厳しく制限されている。軍隊や進学においても制限は多い。カイロに住む多くのコプト教徒は「ザバリーン」(ごみの人)と呼ばれ、彼らは民家からごみを回収し、その中の生ごみをえさにして養豚業を営んでいる。彼らにとっては養豚業がすべてであり、豚を奪われては生活が成り立たない。 

 エジプト政府がやりたいのは、本当に新型インフルエンザ対策なのか、それともそれを口実としたコプト教徒の封じ込め政策なのか。今回の豚の全頭処分の決定は、コプト教徒とムスリムの間の単なる宗教論争ではなく、コプト教徒の生活そのものにかかわる経済問題でもある。政府からは養豚業者に対して補償金がでるが、豚約35万頭分の補償金は膨大だと予想される上に、すべての養豚業者に補償金が行き渡るのは時間もかかることであろう。エジプトは、憲法で信教の自由をかかげている国家である。しかし、このような状況ではコプト教徒は信教の自由以前に、生きる自由が奪われてしまう。政府は国民を保護するための機関であり、政府自らがこのような政策をとるということはあってはならない。エジプト政府はコプト教徒を国民として扱い、ムスリムとコプト教徒の共生を目指す責任を負っているのである。(2009/5/21) 

(参考文献)『朝日新聞』2009年5月11日; 「鳥インフルエンザ―エジプトにおける状況」更新15(2009年5月15日)『国立感染症研究所 感染症情報センター』(2009年5月21日); 山形孝夫『砂漠の修道院』(新潮社、1987年); 『世界の少数民族を知る事典』(明石書店、1990年);『世界のマイノリティ事典』(明石書店、1996年) 
 


小沢代表の辞任に寄せて(加納昂祐) 

 5月11日、民主党の小沢一郎代表が緊急記者会見を開き、代表辞任を表明した。小沢代表辞任の背景には、第一秘書の大久保隆規被告らが政治資金規正法違反で3月に逮捕された事件がある。小沢氏は、政治資金の問題に関して「一点のやましいところもない。政治的な責任で身を引くわけでもない」と強調したが、十分な説明責任を果たしたとはいえない。 

 それでも、遅まきながら代表辞任を決断したことだけは評価できる。小沢氏は代表を辞任する理由として、「今度の総選挙は悲願の政権交代を実現する最大のチャンス。党内が乱れていたのでは勝利できない。代表の職にとどまることで、挙党一致の態勢を強固にする上で少しでも差し障りがあるとするならば、本意でない」と説明した。小沢代表が辞任をしたことにより、民主党は評価を取り戻しつつある。後任の鳩山由紀夫代表のもとで一丸となり、総選挙に臨む構えだ。 

 一方、与党自民党の総裁は、たびたび決断力の無さを露呈してきた。小泉純一郎首相の後継に選ばれた安倍晋三首相は、参議院選挙で大敗後に責任を取り辞任すべきという世論を押し切って続投したが、中途半端なところで体調不良を理由に辞任した。あとを継いだ福田康夫首相も、政権運営に行き詰まって中途半端な辞め方をしたことは否めない。そして、現職の麻生太郎首相は、本来は選挙管理内閣を期待されて選ばれたのだが、党の期待に反して国民の支持率が低迷する中で、今日まで総選挙を決断できないまま「ばらまき」の政治を続けている。 

 今年は、選挙の年である。夏には都議会の選挙があり、遅くとも9月までに総選挙がある。いよいよ行き詰まった感のある日本の政治状況であるが、国民はどのような審判を下すのであろうか。(2009/5/20) 

(参考文献)『日本経済新聞』2009年5月12日、『読売新聞』2009年5月12日  


裁判員制度の施行(追川尚之) 

 5月21日に裁判員法が施行され、裁判員制度がいよいよ始まる。これは国民から選ばれた6名の裁判員が刑事裁判に参加し、3人の裁判官とともに、有罪か無罪か、有罪の場合どのような種類・程度の刑とするのかを決める制度である。 

 この制度の目的は、書類や調書に重点を置いてきた裁判から法廷でのやり取りを中心とした「見て、聞いて分かる裁判」に変えること、裁判に市民感覚を取り入れることによって従来よりも多角的で公平な裁判とすることなどが挙げられる。また、市民が参加することで、司法に対する信頼の向上へつながることも期待されている。 

 国民が刑事裁判に参加するような制度が設けられている国は多数あるが、アメリカやイギリスで採用されている陪審員制度は、選ばれた陪審員が有罪か無罪かだけを話し合い、量刑については裁判官が決める。日本の裁判員制度は、量刑まで法律の素人である市民に関与させる点でそれとは大きく異なっている。 

 この制度には多数の問題点も指摘されている。裁判所での評議は公判前整理手続きを経て選ばれた証拠の中で行われるが、そうした中でどこまで市民感覚を取り入れることができるか。一般市民である裁判員が閉ざされていた未知の空間に足を踏み入れ、泣き崩れる被告人を目の前にして、感情に流されることなく判断することができるか。また、裁判員の中に死刑反対派が多く含まれることによって半ば偶然に死刑を免れるような判例が出る可能性も示唆されている。 

 裁判員制度は、導入後、さらに多くの問題点が浮上する可能性がある。3年後に予定されている制度の改善を見据えて、いまから見直しの作業を本格的に開始する必要がある。(2009/05/20) 

(参考文献)『日本経済新聞』5月20日、最高裁判所『裁判員制度|裁判員制度Q&A』、北海道裁判員制度を考える会『裁判員制度 問題点』  


『学術論文の技法(新訂)』の増刷と訂正

 斉藤孝先生との共著『学術論文の技法(新訂)』を2005年に日本エディタースクール出版部から刊行しましたが、とくにオンライン情報についての部分は変化が目覚ましく、いまのところ増刷の機会があるごとに訂正(データの更新)をするよう努めています。今回は、サイト名やURLの修正が主ですが、第3刷のために訂正作業を行いましたので、ご報告差し上げます。 
 
 
 

 

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