国際政治・アメリカ研究

    ■ニュース 2001年下半期

   トピックス――アメリカ事情:解説とリンク  ※著作権は放棄しません。文章の無断転載を禁じます。                                   
 



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《2001年12月》
戦略核兵器の削減とアメリカの単独行動主義
アメリカ、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から脱退
ブッシュ政権下で2回目のミサイル防衛実験
アフガニスタン内戦と対米同時テロ報復作戦の経過(その2)

《2001年11月》
アフガニスタン内戦と対米同時テロ報復作戦の経過

《2001年10月》
同時多発テロ・アフガン情勢関連リンク集

《2001年9月》
同時多発テロ

《2001年8月》
朝日新聞「私の視点」の貧困
56年目の「原爆記念日」を迎えて

《2001年7月》
ガードナー教授の講演を聴いて――ブッシュの就任演説と米外交の再検討
ミサイル防衛実験の成功――「ヘゲモニー・ゲーム」の行方を憂いつつ
沖縄における米兵の婦女暴行事件について(学期末に学生の質問に答える3) 
連邦ビル爆破犯の死刑の公開について(学生の質問に答える2) 
京都議定書に賛成しないアメリカの事情について(学生の質問に答える1) 
ブッシュ「回転ドア」政権と小泉「ワイドショー」内閣の日米関係




《2001年12月》
戦略核兵器の削減とアメリカの単独行動主義

 ブッシュ政権は、核軍縮の大幅削減の方針を唱える一方で、米ロの軍備管理交渉を重視する従来の路線から距離を置いてきた。これは、ブッシュ政権の単独行動主義の現れと見られる。 

 米ソは、91年に戦略兵器削減条約(START I)に調印した。これによって、米ソの戦略兵器運搬手段はそれぞれ1600基に削減(アメリカは約30%の削減、ソ連は約36%の削減)し、戦略核弾頭の総数を6000発に削減(アメリカは約43%の削減、ソ連は約41%の削減)することが決められた。この目標は2001年12月に達成された。しかし、93年に調印された第二次戦略兵器削減条約(START II)については、いまだに発効していない。 

 今年(2001年)11月13日、ブッシュ大統領は、米ロ首脳会談後の共同会見において、アメリカが約7000個保有する戦略核弾頭を今後10年間で1700-2200個の水準に削減することを表明した。プーチン大統領は、ロシアも同様に核弾頭の大幅削減を行なう意向を示したが、その前に「信頼できる、検証可能な合意が必要だ」との条件を付け、削減の期限を示さなかった。ブッシュ大統領が発表した削減目標は、START IIIの目標よりもさらに少ない点が評価される。 

 しかし、世界の核兵器問題において重要なのは、核弾頭を2000発残すか2200発残すかということよりも、核問題について国際的な信頼関係が維持されることである。その意味で、ブッシュ政権の単独行動主義に危うさがあることは否めない。米ロをはじめとする核大国には、国際社会の目の前で、検証可能な方法によって核軍縮を進める義務がある。今月のイワノフ・ロシア外相とパウエル米国務長官の会談で、ロシア側が強く求めていた戦略核大幅削減の文書化をアメリカが受け入れており、ミサイル防衛との関係で米ロ間で取引もしくは調整があったとも見られる。12月17日、ロシアのイワノフ国防相は、ラムズフェルド米国防長官との会談後、来年1月に戦略核兵器の大幅削減に関する実務レベル協議を開始することで合意した。米ロ両国の今後の交渉を見守りたい。(2001/12/30) 

(関連記事:毎日新聞11月14日、ロイター12月6日18日、西日本新聞12月14日ほか) 
 


アメリカ、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から脱退

 12月13日、ブッシュ大統領は、1972年に旧ソ連との間で調印した弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの脱退を同日ロシア政府に通告したことを発表した。条約は6カ月前の事前通告によって脱退が認められており、来年6月13日に失効する。ABM条約は冷戦期における軍備管理と相互抑止体制の基礎であり、アメリカによる脱退が持つ意味は大きい。 

 ブッシュ大統領は同日の演説で、9月11日の同時テロ事件によってテロ組織などのミサイル攻撃からアメリカ本土や同盟国を守るミサイル防衛構想の必要性が明らかになったとして、ミサイル防衛システムの配備や研究開発を制限するABM条約を脱退する理由を説明した。ABM条約からの脱退には、かねてから民主党やロシア・中国などが反発していたが、ブッシュ大統領は、アメリカの条約脱退がロシアとの関係やロシアの安全を損なうものではないとの見解を表明した。また14日、バウチャー米国務省報道官は、アメリカ政府が中国に高官を派遣して「ミサイル防衛は中国の抑止力を損なうものではないことを明確にする」と語り、16日にはパウエル国務長官がロシアや中国との関係が悪化する心配はないとの見通しを示した。 

 ブッシュ政権はこれまでも折に触れABM制限条約からの脱退の意向をほのめかしていたので、ロシアの反応は冷静であった。13日夜、プーチン大統領はテレビ演説で、ブッシュ大統領がABM制限条約からの脱退を宣言したのは「誤りだ」と批判する一方で、「ロシアは他の核保有国と異なり、ミサイル防衛を突破する効果的なシステムを保有している」と述べ、アメリカが条約から脱退しても「ロシアの安全保障の脅威にならない」との見解を示した。プーチン政権は、最終的にアメリカの条約脱退をくい止めることはできないと判断してか、最近はミサイル防衛構想の容認に傾いており、むしろそれを前提として大胆な核軍縮を含む新たな軍事バランスを模索する方向で準備を進めていた。22日、ロシアのイワノフ外相はABM制限条約に代わる米ロ間の「合意」を目指す旨を表明している。 

 なお、ブッシュ大統領はこれに先立つ11日、サウスカロライナ州における演説で、同時多発テロによってアメリカ真珠湾攻撃以来の変化の時に直面していると説き、大量破壊兵器の不拡散を図る「包括的戦略」を米政府が策定する方針を打ち出すとともに、ミサイル防衛の開発・配備を急ぐ方針を確認していた。(2001/12/30) 

(関連記事:読売新聞12月14日、毎日新聞12月12日14日15日23日、ロイター12月17日) 
 
 


ブッシュ政権下で2回目のミサイル防衛実験

 米国防総省は12月3日、ブッシュ政権下で2回目のミサイル防衛システムの迎撃実験を行い、7月の実験に続いて標的の破壊に成功した。実験は当初、10月下旬に予定されていたが、ブッシュ政権はテロへの報復戦争などとのかね合いで実施を延期していた。ブッシュ大統領は2004年の初期配備を目指しており、今回の実験成功は政治的にも追い風となるに違いない。来年秋までに、さらに4ないし6回の実験を行う方針である。 

 しかし、ミサイル防衛については国内外の批判が絶えないのも事実である。毎日新聞によれば、マサチューセッツ工科大のポストル教授は、今回の実験について「命中しやすくセットした弾頭を破壊しても、実戦に耐える軍事能力を示したことにはならない」とに語り、1回1億ドルの実験は「米国民の税金の無駄遣い」と批判している。また、ロイターによれば、12月7日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世や、ゴルバチョフ・元ソ連大統領などノーベル賞の歴代受賞者100人以上が、地球の温暖化やミサイル防衛に関する米ブッシュ政権の政策を批判し、抗議文書に署名している。(2001/12/30) 

(関連記事:毎日新聞12月4日、5日、西日本新聞12月5日、ロイター12月8日) 
 


アフガニスタン内戦と対米同時テロ報復作戦の経過(その2)

 12月4日、アフガニスタン各派代表者会合は、暫定政府の樹立などについて合意に達した。首相に相当する暫定行政機構議長にはパシュトゥン人の元外務次官で国王派のハミド・カルザイ司令官の就任が決まった。当初、北部同盟のドスタム将軍は、ウズベク人勢力が公平に扱われていないとして暫定政権の構成に不満を表明していたが、9日、同将軍が米当局者に対して暫定政権への協力の意向を表明したことが伝えられた。 

 一方、アメリカでは、テロ事件に対する報復戦争を通じて国民の右傾化が進んでいる。12月18日ブッシュ大統領は、同時テロ事件が発生した9月11日を「愛国者の日」とする法案に調印した。26日に発表されたギャロップ社などの世論調査によると、ブッシュ大統領は「最も称賛する男性」は誰かという問いに対して39%の票を獲得し、二位以下に大きく水をあけた。39%の得票は48年に調査が始まって以来、史上最高の記録である。テロ事件の主要な容疑者とされたオサマ・ビンラディン氏の居場所はなおも不明であるが、反米的なタリバン政権を打倒するという一つの結果がもたらされた。アフガニスタン暫定政府のカルザイ議長は親米的である。 

 28日、ブッシュ大統領は、暫定政権が空爆の停止を求めたのに対して、米軍を長期にわたって駐留させる見通しを示し、撤退には応じない態度を示している。(2001/12/30) 

(関連記事:ロイター12月6日、10日。ロイター12月19日、毎日新聞12月27日29日) 
 


《2001年11月》
アフガニスタン内戦と対米同時テロ報復作戦の経過

 11月27日、対米同時テロ報復作戦およびアフガン内戦後の暫定政権を協議する国連主催の会合が、ドイツのボンで開始された。マスコミの報道で広く伝えられている範囲を超えるものではないが、この機会にアフガニスタン内戦とテロ報復作戦の経緯を簡潔に振り返ってみたい。 

 テロ発生の翌日、ブッシュ大統領は、今回の同時テロを「戦争」行為と断じ、犯人に対する報復の決意を表明した。9月15日、ブッシュ大統領は、アフガニスタンに潜伏するオサマ・ビンラディン氏を、今回のテロ事件の最重要容疑者と言明した。ビンラディン氏は、アルカイダというテロ集団を率いており、アフガニスタンを実効支配するタリバーンにかくまわれていると見られた。20日、ブッシュ大統領は、タリバーン政権にビンラディン氏の身柄引き渡しを要求し、要求が受け入れられない場合には軍事介入を辞さない構えを見せた。しかし、21日、タリバーンは、容疑の証拠がないことなどを理由にビンラディン氏の引き渡しを拒否したため、アメリカ側は軍隊を投入する準備を進めた。アメリカの報復作戦は「無限の正義」と命名(後に「不朽の自由」に変更)された。しかし、今後アメリカが「新しい戦争」をどう定義づけようとも今回のテロ行為が戦争ではなく犯罪であることは明らかであり、アフガニスタンという国家に対する米軍の攻撃は国際法的に正当性を欠くといわざるをえない。 

 アフガンの人口は約2200万人であるが、30年に及ぶ軍事紛争の末に、テロ事件の前日9月10日現在ですでに難民370万人、国内避難民約96万人が発生していた。同月、国連食糧農業機関(FAO)は、米軍が攻撃に踏み切れば、全人口の約4分の1近い600万人が飢餓にさらされると警告した。アフガニスタンの難民への支援金は、わが国でもアメリカの被災者に対する義援金ほど多く集まっていないが、テロ事件の背後にこのような貧困の問題が潜んでいることも忘れてはならない。なお、ビンラディン氏が対米テロを行なった動機としては、パレスチナ問題に対するアメリカ政府の姿勢や、聖地メッカのあるサウジアラビアの地に米軍が駐留したことなどへの不満があると推測されている。 

 アフガニスタンでは、1979年のソ連軍の侵攻以来、紛争が後を絶たなかった。89年にソ連軍が撤退した後、ソ連に抵抗したムジャヒディーン各派の中からラバニ大統領が選ばれたが、内戦は継続され、派閥対立・政治腐敗・治安悪化が国民の不満を買った。そのような中で、パキスタンでイスラム教を学んだアフガニスタン人原理主義者の集団が94年にタリバーンを結成して急速に勢力を伸ばし、96年には国土の8ないし9割を実効支配した。タリバーンは、アフガニスタンの多数派民族であるパシュトゥン人の集まりであり、アフガニスタンの治安を回復したために国民から一定の支持を受けていた。また、タリバーンは、同じくパシュトゥン人を多く抱えるパキスタンを後ろ盾とした。しかし、タリバーン政権は、イスラム原理主義の立場から仏像を破壊したり、女性を抑圧したり、国民に厳しい戒律を強いたために、都市の住民を中心に反感を買うようにもなる。そうした中で、97年、北東部に追いやられたムジャヒディーン各派は、ラバニ前大統領率いるタジク人主体の「イスラム協会」、ウズベク人中心の「アフガニスタン・イスラム運動」、親イランのイスラム教シーア派ハザラ人の「イスラム統一党」から成る武装組織として、いわゆる「北部同盟」を結成した。当初、北部同盟はマスード将軍をリーダーとしており、同将軍の暗殺後に勢力を弱めたと見られたが、 今回のテロ事件によってアメリカがタリバーンへの対決姿勢を見せると、一気に攻勢に出た。 

 10月7日、英米がアフガニスタンに報復攻撃を開始した。まもなく米特殊部隊も投入されるが、特殊部隊の主な任務は攻撃目標に関する情報収集にあり、英米の攻撃は空爆を中心に進められた。同時に、北部同盟は地上戦で支配地域を広げていった。11月9日、北部同盟はアフガニスタン北部の要衝マザリシャリフを陥落させ、軍事的にはいつでも首都カブールを制圧することが可能な情勢となった。ただし、アメリカは、タリバン後の体制の青写真ができていないために、首都の制圧に慎重であった。北部同盟は少数民族の集団であり、北部同盟だけで安定した政権を担うことができるとは思われなかった。ところが、12日、勢いを失ったタリバーンは、みずから首都からの撤退を開始した。北部同盟はアメリカに配慮して暫定政権を樹立しないと言明しつつカブール入りした。アフガニスタン南部の拠点でタリバーンの本拠地であるカンダハルをはじめ、いくつかの都市はいまだ制圧されていないものの、タリバーン後の体制づくりが国際的な関心を集めるようになった。16日、イスラム教の断食月であるラマダンが始まり、アメリカの攻撃が世界中のイスラム教徒から非難されることが懸念されたが、現在のところそれほど大きな混乱は起きていない。25日、アメリカは、ビンラディン氏とタリバーン最高指導者オマル師の身柄確保、およびテロ組織アルカイダの壊滅を狙って、本格的な冬の到来を前にカンダハルを攻略すべく約1500人の海兵隊をアフガニスタンに展開した。なお、これに先立つ21日、アメリカのラムズフェルド米国防長官はビンラディンを生きたまま拘束するよりは殺害するべきとの考えを表明していた――たしかにビンラディン自身もそれを望んでいるようではあるが、文明国の政治家とは思えない破廉恥な発言と言わざるを得ない。 

 11月27日、ボンで国連ブラヒミ事務総長特別代表が仲介役を務めるアフガニスタンの暫定政権協議が開幕し、「暫定最高評議会」(仮称)を設置するという国連案が、タリバーン後の統治への参加を目指す4派代表によって基本的に同意された。協議に参加した4派とは、北部同盟、ザヒル・シャー元国王を中心とするローマ・グループ、シーア派の亡命知識人らを主体とするキプロス・グループ、パキスタン在住のパシュトゥン人難民らのぺシャワル・グループである。今回の協議は3ないし5日間行われる予定であり、来年3月までの暫定政権のポストの配分をめぐる交渉が開始されている模様である。ザヒル・シャー元国王を元首的な地位につけることでほぼ同意されているようであるが、残りのポストの争いは国際的な背景もあって熾烈を極めそうである。タリバーンというパシュトゥン人の盟友を失ったパキスタンは、他のパシュトゥン人勢力としてぺシャワル・グループを後押ししているが、それほど大きな影響力は望めない。パキスタンと敵対するインドや、チェチェンの原理主義に悩まされタリバーンと敵対するロシアは北部同盟を後押ししているが、北部同盟はそれ自体が派閥の連合であり、一枚岩ではない。アメリカはローマ・グループを後押ししているが、ザヒル・シャーはすでに高齢であり、どこまで指導力を発揮できるか分からない。キプロス・グループはイランを後ろ盾とするが、宗教的に少数派であるだけに影響力は限られている。さらに、アフガニスタンは部族社会であるので、派閥間の合意が得られても、実際にはそれが各部族に了解されねばならないという問題もある。 

 なお、ブッシュ大統領は、これまでテロリストをかくまう者もテロリストであるという論理によってアフガニスタンへの攻撃を正当化してきたが、今後は「テロとの戦争」に大量破壊兵器疑惑の解明も含めるとの立場を打ち出した。26日、ブッシュ大統領は、大量破壊兵器がテロリストの手に渡る危険性を憂慮し、「大量破壊兵器の開発によって他国を脅かす者も責任を問われる」と述べて、イラクや北朝鮮に大量破壊兵器の査察の受け入れを求めたのである。しかし、ブッシュ政権は、このように言うことによってイラクへの武力行使を暗示したが、その立場に法的根拠はない。アメリカは、テロ事件の被害者であることを最大限に利用しようとする構えであるが、アメリカの行き過ぎに対して国際的な批判が出てくることは避けられないであろう。(2001/11/28) 
(関連記事:「毎日新聞」11月27日・28日、Yahoo!ニュース「タリバン後」など) 
 


《2001年10月》
同時多発テロ・アフガン情勢関連リンク集

(1)ニュース特集 Yahoo!NewsCNN.co.jpMNSニュース特集
   朝日読売日経NHKテレビ朝日時事通信| 
   NEWSWEEK,2001/9/26号, 1, 2, 3
(2)外務省各国地域情報:アフガニスタン
   基礎データアフガニスタン概況アフガニスタンの現状と問題Q&A
(3)アフガン情勢についての解説記事とリンク集 
   高橋和夫「アフガン、パキスタン、ターレバン」『中東協力センターニュース』(1998年9月) 
     『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』 
   山本芳幸「カブール・ノート」 
   「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」内「イマジン」 
   日本の憲法研究者の緊急共同アピール(2001年10月9日) 
(4)各国の対応 JETRO緊急情報中東調査会・中東諸国の反応
(5)日本の対応 Yahoo!News首相官邸| 
(6)アフガン難民と人道上の危機について 
  国連高等弁務官事務所アフガン難民支援募金) アフガニスタン情報統計
  難民事業本部「パキスタン北西部におけるアフガン難民の窮状」 
  国際連合世界食糧計画(WFP)日本事務所「緊急要請を開始」 
  日本ユニセフ協会アフガン難民緊急募金) 
  日本赤十字社米被災者への義援金)|国境なき医師団難民支援の寄付) 
  ペシャワール会アフガン いのちの基金) 

《2001年9月》

同時多発テロ

 想像を絶する事件が起きた。日常が一瞬のうちに非日常に変わった。遠い親類が世界貿易センタービルで開業医をしていたが、休診日のため被害から免れた。事件の発生以来、私の自宅の上空を米軍機が頻繁に飛行するようになっている。これは意外と遠くて近い出来事なのかもしれない。 

 9月11日午前、アラブ系と見られる国際テロリストがアメリカ東部を飛行中の旅客機4機をハイジャックし、ニューヨークにある世界貿易センタービル2棟とワシントン郊外の国防総省に次々と体当たりする、一連の自爆テロを決行した。これにより、5000人を超える被害者が出たと見られるが、テロリストによる犯行声明は出されていない。ブッシュ大統領は、これを「自由に対する攻撃」、「善と悪」の戦い、単なるテロを超えた「戦争」と位置づけて、軍事力による徹底的な報復を行うために同盟国と議会の支持を取り付けようとしている。(注:11月23日ニューヨーク市当局の発表によれば、犠牲者の数は3646名) 

 アメリカ政府の発表では、主要な容疑者はアフガニスタンに潜伏中のオサマ・ビンラディン氏であるが、本人は犯行への関与を否定しており、現在アフガニスタンを実効支配しているイスラム武装勢力タリバーンは身柄の引き渡しに応じていない。 

 ブッシュ大統領は、テロに屈しないという強い決意を示すことによって支持率を上昇させている。アメリカ国民は、今回の事件を第二の「パールハーバー(真珠湾攻撃)」と受け止めて、結束を強めている。星条旗が飛ぶように売れ、集会では「U.S.A.」が連呼される。事件の直後、キッシンジャー元米国務長官は、「今回の攻撃は真珠湾奇襲に匹敵するもので、米国は同等の対応をしなければならず、この行為を実施した者は真珠湾の攻撃者と同じ結末を迎えるだろう」と述べた。「同じ結末」とは、必ずしも原爆を指しているのではないであろうが、徹底的な破壊を意味する。地上軍によるアフガニスタンへの侵攻以外にも、数年に及ぶ国際テロ組織の根絶作戦を含むことになるであろう。しかし、アメリカのやり方次第では、イスラム世界に今後千年にわたる禍根を残すことにもなりかねない。慎重な対応が期待される所以である。 

 国際テロの脅威は、これまでもブッシュ政権が強調してきたことである。おそらく、今回の事件と直接関係のあることに限らず、テロをめぐるさまざまの情報がCIAなどを通じて政府に報告されていたのであろう。とりあえず、日本に対する要求事項は増えるであろうが、テロ対策という名目で、今後アメリカの安全保障政策がどのように転換するのかが注目される。 

 なお、報道では、「イスラム原理主義」という言葉が頻繁に使われているが、これは誤解を招くおそれのある表現である。原理主義とは、聖典を字義通り解釈する立場としてキリスト教でよく用いられるが、イスラム教は『コーラン』を神の言葉そのものと考えているのであるから、「原理主義」という言葉はなじまない。もし「イスラム原理主義者」はテロリストだなどと言ってしまえば、イスラム教は全員テロリストということになりかねないのである。いま最も危険なのは、この種の誤解や偏見が「文明の衝突」という虚構を現実につくりかえることではなかろうか。 
(2001/9/18) 
 

《2001年8月》

朝日新聞「私の視点」の貧困

 8月27日の朝日新聞は、オピニオン面の「視の論点」に米ヘリテージ財団副理事長キム・ホルムズ氏の論考「ミサイル防衛 9条見直し、研究推進を」を掲載した。 

 このタイトルだけでも内容は察しがつくと思われるが、念のため本文を引用しながら紹介しよう。「日本は、中国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、ロシアと隣り合う危険な場所に位置している」。日本は「ミサイルの脅威にさらされている」。「米国民は弾道ミサイルの脅威を自覚しており、改憲〔注、日本国憲法9条改正〕を歓迎する」。日本は「ミサイル防衛の配備に向け、具体的に踏み出すべきである」。 

 私は、この論旨にまったく反対である。ただ、それと同時に、ヘリテージ財団の言論の自由も、朝日新聞の言論の自由も支持したいと思う。しかし、私として理解しがたいのは、朝日新聞が平和憲法の改正を促す言論をわざわざ宣伝しているという事実である。 

 ホルムズ氏が所属するヘリテージ財団は、有名なシンクタンクである。日本では「財団」というものが政治的に偏っているというイメージは薄いかもしれないが、アメリカでは事情が異なる。アメリカ政治は「圧力団体政治」もしくは「利益集団自由主義」を特徴とするが、財団はそれ自体代表的な圧力団体であり、またさまざまの圧力団体を生み出す母胎となっている。また、財団は、政界と財界を結びつける要(かなめ)の役割も果たしている。 

 ヘリテージ財団は、アメリカを代表する保守系シンクタンクである。財団の名前である英語のheritageとは、「相続遺産、文化的遺産、伝統」などの意味であるから、英語が少し分かればおよそ見当がつくだろう。ヘリテージ財団は、その保守的な価値観を実現させるために活動している「政治的な」団体なのである。財団は、アメリカ政府に具体的な政策を提言しているのみならず、現ブッシュ政権に閣僚を送り出してもいる。今回、ホルムズ氏がミサイル防衛推進を主張したのは、たんに彼の考えがそうだからではない。ヘリテージ財団という組織の「政治的立場」がそのようなものと決められているからである。したがって、朝日新聞の「私の視点」に載せられた記事は、「私の視点」というよりも「財団の政治的立場」といった方が正しい。 

 もちろん、ヘリテージ財団には、そのような政治的立場から言論その他の活動をする自由がある。しかし、朝日新聞は何を考えているのであろうか。新聞社は、自社が信じる意見を主張する「言論の自由」を認められており、政治学的には、右寄りや左寄りの新聞社がそれぞれの立場から自由に発言することによって、社会全体としての均衡が成り立つ仕組みとなっていると考えられる。われわれが守るべき言論の自由とは、そのような意味である。新聞における言論の自由とは、いろいろな立場の新聞があってよいということであって、一つの新聞に皆が自由に発言すべきという意味ではない。むしろ、もし一つの新聞社が極右から極左まですべての政治的意見を何らの解説もないままに掲載するならば、それは無責任なことであるとさえ考えられる。 

 あるいは、朝日新聞は、インターネットの「掲示板」のようなものとなったのか? それとも本当に9条改正賛成派となったのか?  
(2001/8/28) 

(関連記事:朝日新聞8月27日) 
 


56年目の「原爆記念日」を迎えて

 8月6日、56回目の「原爆記念日」を迎えた。この日、多くの日本人は、原爆死没者を追悼し、将来の平和を祈願する。しかし、もう一方の当事者、アメリカの事情は、それほど単純ではない。毎年、この時期になると、いわゆる「原爆論争」を繰り返す人々が必ず出てくる。ヒロシマへの原爆の投下は正しい選択であったのか、間違いであったのか。前者の立場をとる人々の中には、原爆以外の問題で日本を責め立てようとする人々が現れ、後者の立場をとる人々の中にはアメリカ国民は日本人に謝罪すべきだと言う人々まで現れる。 

 たとえば、今年は、原爆投下を決断したアメリカのトルーマン大統領がインターネット模擬裁判にかけられた。Ananova.comによれば、歴史家などで構成された10人の陪審員のうち、7人が無罪、2人が有罪、1人が判断を留保し、トルーマンは晴れて戦争犯罪の嫌疑を晴らしたという。一方、朝日新聞(7月31日付)によれば、国際反核法律家協会のピーター・ワイス会長は、来日して早稲田大学で記者会見し、「米国民は広島・長崎への原爆投下を謝らねばならない」と語った。また、それに応えるように、8月4日の同紙によれば、このほど来日した平和運動家マイケル・ホベイさんは、8千人以上のアメリカ市民の署名を集めて、「平和を愛する米国市民を代表し、心から謝罪します」と書かれた広島・長崎市民宛の書簡を公開したという。 

 しかし、当時兵役についていた退役軍人の多くは、日本人に謝罪すべきというような議論に怒り心頭に発している。たとえば、ソルトレイク・トリビューン紙(8月5日付)には、かつて同紙に載せられたそのような趣旨の評論に反発した、退役軍人の記事「原爆は第二次大戦終結のために必要であった」が掲載されている。当時の米兵の多くは、原爆のおかげで日本との血で血を洗う戦争から解放されたという実感をもって原爆の出現を祝福したのであり、自分の生命を奪ったかもしれない相手、すなわち日本人に謝罪するのは馬鹿げたことだと考えている。 

 このほか、一般の市民の討論は、インターネット上でニューヨークタイムズ紙のオピニオン面やジャパン・トゥデイ紙などでも見ることができる。中には、かなり手厳しい意見もある。 

 原爆投下を擁護するアメリカ人の中には、侵略国であった日本の国民があたかも被害者の顔をして平和を訴える原爆記念日を「偽善的」なものと感じている人が少なくないようである。なるほど、これは、素朴に平和を祈願している日本人から見れば、言いがかりであるかもしれない。しかし、彼らの言い分にも一理あるのではないか、と私は自省してみたいと思う。 

 外国人が時折指摘するように、日本の侵略行為を反省する言葉なしに被爆の災難と平和への祈りだけを口にするのは偽善的ではないか。靖国神社に公式参拝すると公言している首相を招いて国際平和を訴えることは、近隣のアジア諸国には偽善的と映らないか。日米安保(アメリカの核の傘)に頼りながら核廃絶を訴える日本人は偽善的ではないか。核兵器を人類共通の敵としながら被爆者に対する補償を日本人と韓国人と北朝鮮人という国籍を基準に考えるのは偽善的ではないか。平和憲法を自慢しながら憲法解釈で集団的自衛権を認められるか検討している小泉政権は欺瞞的ではないか。 

 広島の原爆ドームや平和記念公園には、毎年多くの外国人が訪れる。先月末に私が訪れたときには、訪問者の3割程度を外国人が占めているように見えた。このことは、日本人の平和の訴えが広く世界に届いている証と見ることもできる。しかし、8月6日の原爆記念日には、「祈っている」人ばかりではないことも忘れてはならない。外国には、「議論している」人も大勢いるのであり、われわれはそれらの人々にも通用するロゴス(言葉)とポリシーを持つ必要があるのである。 
(2001年8月7日) 
 
 

《2001年7月》

ガードナー教授の講演を聴いて――ブッシュの就任演説と米外交の再検討

 7月27日、アメリカを代表する外交史家の一人であるロイド・ガードナー教授が、第6回京都アメリカ研究夏期セミナー(立命館大学アメリカ研究センター主催)の基調講演を行なった。私は、案内状に記されたガードナーの論題、"Angel in the Whirlwind: The Search for Independence in American Foreign Policy"(仮訳「旋風の中の天使――アメリカ外交における独立の探求」)に興味をひかれたのだが、それは期待どおりの内容であった。彼は、ブッシュ外交に見られる新しい傾向を、アメリカ独立以来の史的パースペクティヴのなかで見事に位置づけた。私は、それは今日の世界が抱える多くの問題を理解するうえで不可欠なことであると考えている。 

 "Angel in the Whirlwind"という論題は、今年1月ブッシュ大統領の就任演説のなかで引用された歴史的な書簡――独立宣言の署名後、ヴァージニアの政治家ジョン・ページが宣言文の起草者であるトーマス・ジェファーソンに送った書簡――の一文、"We know the race is not to the swift, nor the battle to the strong. Do you not think an angel rides in the whirlwind and directs this storm?"からとったものである。いささか難解な英文であるが、アメリカ大使館の翻訳によれば、その意味するところは「競争は必ずしも速い者が勝つのではなく、戦は必ずしも強い者が勝つのではないことをわれわれは知っている。天使が旋風を御し、この嵐を導いているとは思わないか」ということになる。 

 私は、ブッシュの就任演説の直後に、新聞協会に務める或る知人から電子メールを受け取り、この一文(英文)について意見交換をしていたので、ガードナー教授の論題を見て「はっ」とさせられた。臆せず言えば、いずれ公の場でもこの一文について議論したいと思っていたので、「先にしてやられた」という気持ちがわいたのも事実である。 

 私は、アメリカ人も意外と知的なことを言うものだと感心した様子の知人に対して、次のような返信を送っていた。「例の手紙の引用は……『独立宣言を発したのはよいものの、その精神を具現するには長い時間がかかるし、それは力ずくでできることではない』という趣旨だと思います。ブッシュは、何も軍事力にものを言わせようというわけではないが、自由主義と民主主義を世界に広めるアメリカの聖戦はまだ終わっていないと宣言しているわけです。〔これは〕いくぶん大げさに言えば、『世界のアメリカ化計画』とも受け取れます。最近、私は、グローバリズムの名の下に世界のアメリカ化が押し進められていることに問題意識を感じています。……」(2月7日付け私信)。 

 一方、ガードナー教授の講演の趣旨は、アメリカ外交は「旋風」(Whirlwind)――すなわちその時々の世界の状況――に煽られながらも「天使」(Angel)――すなわち独立革命のイデオロギーである自由主義――によって導かれてきたというものであった。この史的パースペクティヴは、必ずしも斬新なものではないが、彼の貢献は、発足後わずか半年しか経たないブッシュ政権の外交をも視野に入れている点、あるいは逆に言えば、それを起点としてその史的パースペクティヴを整理し直した点に求められる。 

 注目すべきことに、ガードナー教授は、ブッシュ政権の京都議定書からの離脱について、かなり踏み込んだ解釈をしている。ガードナー教授の説明によれば、ブッシュ自身はそれを「新しい独立宣言」と見ているというのである。実は、私も、3月末のブッシュの離脱表明を受けて、このホームページに次のようにコメントしていた。「ブッシュが議定書に反対したことには、たしかに経済優先・国益優先という考え方がある。ただし、その根底に、自由主義イデオロギーに対する執着があることは否めない」と。しかし、私がそれを環境規制に対するレーガン流の哲学とのパラレルで説明しようとしたのに対して、ガードナー教授は、当時と現在の「旋風」の違いを考慮に入れつつ「いまやソ連は崩壊した。アメリカはもはや何者にも追従する義務はなく、我が道を行くことができると感じている」と解釈している。だから、京都議定書からの離脱は「新しい独立宣言」なのであり、ここに、多くの日本人が疑問に感じているブッシュ外交の「単独行動主義」を解く鍵があるといえる。 

 たしかに、ガードナー教授の講演は、政治家や助言者の思想と行動に注目し、アメリカ外交のイデオロギー性を重視する一方で、経済的な契機や現実主義的な考慮についての説明は必ずしも十分ではなかった。また、ガードナー教授は、国際政治学ではなくアメリカ外交史の専門家としての立場から、アメリカの新しい外交が国際社会に与えるであろうインパクトと問題点について、必ずしも踏み込んだ議論をしようとはしなかった。しかし、ガードナー教授は、アメリカ外交には自由主義への《衝動》が常に内在されていることを再確認させてくれた。そして、それがタイムリーなことであると思えたのは、冷戦の終焉を迎えて一段落したアメリカが、再び、違った形で、その衝動に突き動かされつつあるように見える現実があるためではないか。 

 振り返ってみると、このホームページの「トピックス」のコーナーも、ブッシュの就任演説の解説から始まった。ガードナー教授の講演を聴き終えて、もう一度、その解説文の結論を示すこととしたい。 

 「ここで説かれているのは、自由主義への確信であり、外国人である私の目から見れば、半ば絶対化された《アメリカニズム》である。21世紀前半、技術の進歩に従ってグローバリズムが不可避的に進行する中で、また異なる文化、価値観、利益の衝突が不可避的に増大する中で、18世紀の建国の理念に基礎を置くアメリカニズムは、現実の国際政治にどのような影響を与えるのであろうか。国民の結束を呼びかける明るい演説の中に感じた私の何か不穏な出来事の予感が、現実のものとならないことを願いたい」。 
(2001年7月29日) 
 


ミサイル防衛実験の成功――「ヘゲモニー・ゲーム」の行方を憂いつつ

 7月14日、アメリカは、ミサイル防衛の実験に「成功」した。たしかに、今回の実験は実戦の条件とあまりにかけ離れているが、技術的な観点からミサイル防衛を批判するのは水掛け論に陥るだけであり、今回の実験成功によってブッシュが政治的な一つの賭に勝ったことを重く受け止めざるを得ない。これでまたミサイル防衛に弾みがつき、いまやアメリカに研究をやめさせることが困難になったかと思うと、日本や世界の将来を憂わざるをえない。 

 今回の実験は、ブッシュ政権では初めての実験であり、通算では4回目の実験にあたる。過去にも1999年10月に成功したことがあったが、前回2000年7月の実験では失敗していた。国防省弾道ミサイル防衛局のケイディッシュ局長によれば、今回の実験の難易度は過去3回のものとほぼ同じであるという。実験の内容としては、カリフォルニア州のヴァンデンバーグ空軍基地から発射したICBM(ミニットマンU)を、7.725キロ離れたマーシャル諸島の実験場から発射したミサイルの迎撃体で撃ち落とす。ICBMからは弾頭の他におとりの風船が発射されるが、迎撃システムは、衛星と地上レーダーで目標物を探知し、弾頭と風船の放つ赤外線の違いなどを識別して、弾頭の方を撃ち落とすのである。 

 ケイディッシュ局長は、実験後の記者会見で「すべての機能が正確に作動した」と述べたが、後日、地上レーダーに不具合があったことが発覚した。レーダーは、迎撃体が目標に命中したことを伝えていなかったのである。技術的な点から今回の実験を批判しようとすれば、その他にも批判の論点はある。まず、弾頭とおとり風船が放つ赤外線は、あらかじめ迎撃システムにインプットされていたと見られているが、実戦では不可能なことである。また、今回の実験では、おとりの風船の形などが変更されたが、おそらくは識別しやすいものに改められたと考えられる。実戦では、弾頭もおとりも一つずつなどということはまずありえないし、おとりにはより巧妙な細工が施されるはずである。 

 さらに、これは個人的な勘ぐりにすぎないが、今回の実験がどこまで伝えられたとおりの内容であったのかも疑わしい。実験は深夜、太平洋上で行なわれたので、どこまでが本当なのか誰にも確認がとれないのである。私が見逃しただけかもしれないが、映像による報道もほとんど行われていない。ワシントンポスト紙によれば、国防総省で実験の映像が公開され、画面上「空にまばゆい光が現れ、ふたたび闇に包まれた」とのことだが、これでは何のことだかよくわからない。なぜブッシュ政権は、ジェノバ・サミットの一週間前に実験を設定したのか。失敗したらどうするつもりであったのか。まさか失敗しない<からくり>でもあったのではないか、ということさえ頭をよぎる。(*) 

 もとより、上述した最後の論点は根拠のない個人的な勘ぐりだが、実際には、ブッシュ政権は、失敗した場合にしっかり備えていたといえる。というのは、ブッシュ政権はまず、実験の1カ月月前に各国に対して、向こう14カ月間の実験の予定を通知し、たとえ今回の実験が失敗しても研究・開発は継続する、という意思表示を行なっていた。そして、実験の数日前、ホワイトハウスは各国に駐在するアメリカの大使に電報を送り、ミサイル防衛問題で各国の質問にどう対応すべきかのマニュアルを用意した。また、実験の前日には、ケイディシュ局長が来年末までの実験の予定をマスコミに公表し、今回の実験結果にかかわらず計画が継続されることが周知された。 

 実験後、ラムズフェルド国防長官が改めて今後の実験の日程を公表した。次回の実験は10月で、その後ほぼ隔月で実施されるという。ついで17日、ウォルフォウィッツ国防副長官が、上院軍事委員会の公聴会で実験結果を報告し、ミサイル防衛関連の予算を承認するよう求めた。民主党議会は、依然としてミサイル防衛の必要性に懐疑的だが、今回の実験が成功した場合と失敗した場合とでは、議会の態度にも雲泥の差があったはずである。 

 今回の実験によって、中国とロシアがアメリカに対する批判を強める中で、アメリカは日本に対する期待を膨らませている。17日、ベーカー駐日大使は、ミサイル防衛の「研究が先まで進めば日本は憲法9条を再解釈する必要に迫られる」「憲法は過去50年間は建設的で適切だったが、現実の世界情勢は憲法の解釈や定義を変更する方向を示している」と述べたのである。19日の『朝日新聞』の見出しにもあるとおり、小泉政権の外交は「親米一筋」であるだけに危うさを感じずにはいられない。20日の同紙には、田中外相がパウエル国務長官に9条改正に積極的な発言をしたことも伝えられている。 

 このホームページで何度か述べてきたとおり、私は、ミサイル防衛は基本的に政治的な兵器であると見ている。端的に言えば、冷戦期のアメリカは、攻撃兵器の開発でヘゲモニーを維持してきたが、いまや防衛兵器でヘゲモニーを確立しようとしている。ミサイル防衛は、ブッシュ政権にとっていわば「ヘゲモニー・ゲーム」の飛車角である。EU、ロシア、中国は、グローバル化の時代を生き抜き、多極化世界を維持するために策を練っているが、日本だけはまさに親米一辺倒の状況である。しかし、小泉政権とその支持者たちは、アジア諸国との関係を悪化させ、アメリカ主導のグローバリズムを加速して、その先にいったい何があると期待しているのであろうか。(7月19日) 

(*)追記:『毎日新聞』によれば、国防省は27日、今回の実験を容易にするために、標的のミサイルから電子信号を発信していた事実を明らかにした。(8月5日) 

(関連記事:『朝日新聞』7月16日、19日、20日; Washington Post, July 15; 『毎日新聞』7月14日、18日など) 
 


沖縄における米兵の婦女暴行事件について(学期末に学生の質問に答える3) 

 今年6月に起きた沖縄の米兵婦女暴行事件をきっかけに、日本で反米的な世論がわき起こり、日米地位協定の見直しを求める声が高まっている。 

 アメリカは、日本の沖縄基地をはじめ前方展開基地を置く同盟国との間に個別の「地位協定」を設け、米軍の法的位置づけを取り決めている。日米の地位協定は、1960年に結ばれたものであるが、他国の事例と比べても米軍の特権的地位を認める内容となっている。今回問題となったのは、日本側が起訴するまで、米軍は容疑者の身柄を拘束できるという協定17条の規定である。 

 米兵が日本で刑事事件を起こした場合、基地外であれば逮捕できる。しかし、今回の婦女暴行事件の容疑者は、逮捕状が出たとき基地内にいたので、地域協定の規定によれば、アメリカ側は起訴前に容疑者を引き渡さなくてよいことになる。ただし、日米間では、95年の女子小学生暴行事件を機に、殺人や暴行などの凶悪犯罪については、日本側が米軍内の容疑者の身柄の引き渡しを要求した場合に「好意的な考慮を払う」ことが約束されている。そこで、アメリカは、日本側の身柄引き渡し要求を受けて、「好意的な考慮」をいかに払うかを模索したのだが、実際の引き渡しまでに4日間もかかったため、日本の世論は猛反発することとなった。 

 アメリカ政府は、弁護士を立ち会わせることができない日本の警察の取り調べに、容疑を否認している米兵の身柄を引き渡すことが、アメリカ刑事訴訟法における人権擁護の考え方に抵触することなどを懸念し、少なくともアメリカ側の通訳を同席させたいと考えた。しかし、結局、アメリカは、その要求を取り下げて容疑者の引き渡しに応じた。 

 それでも、この間に生じた反米感情はすぐには消えないであろう。だが、この事件に関して、日本政府を批判せずにアメリカ政府だけを批判するのは合理的とはいえない。というのは、第一に日本政府は基本的に地位協定を自らの意思で受け入れているのであり、第二に日本政府は協定に問題点があることを知りながらその解決を協定の改正という形で求めてこなかったからである。そのようなわけで、現状では、日本政府はアメリカの「好意的な考慮」にすがるよりほかにない。政府は、これを「運用面での改善」と呼んでいる。 

 地位協定の見直しを求める声は以前からあったが、今回の事件も日本の政府・外務省による協定の改正への動きにはつながらない可能性が高そうである。日本の政府・外務省は、地位協定を改正するための交渉を求めれば、アメリカから強い反発を受け、日米の同盟関係について日本側からの要求以上に大きな要求がアメリカ側から出されることを懸念して、協定の改正をためらってきた。一方、アメリカは、外国の前線基地で働く米兵のためにできるだけ有利な協定を維持することを望んでおり、日本との地位協定の改正を認めれば、他の国からも改正の要請が連鎖的に現れることを恐れている。 

 大局的に見れば、この問題は、日本が平和憲法を掲げながら自衛隊を保持し、片務的な日米安保条約を結んでいるという特殊な状況の中でくすぶっている。はたして、憲法、自衛隊、日米安保という、より基本的な問題を解決せずに、地位協定の問題のみを解決することはできるのであろうか。個人的な憶測では、何か事件が起こるたびにアメリカを非難し、選挙のたびに親米的な自民党政権を支持するという日本の有権者の動向を見る限り、基地問題を含む日米関係は今後もさまざまの摩擦を抱えながら推移してゆくと考えられる。(7月11日) 

(関連記事:日米地位協定) 


連邦ビル爆破犯の死刑の公開について(学生の質問に答える2) 

 2001年6月11日、連邦政府は1995年4月にオクラホマ州連邦政府ビルを爆破した事件の主犯、ティモシー・マクベイ死刑囚(33)の死刑を執行し、その様子を遺族の前でテレビ中継した。アメリカでは州政府により毎年数十人の死刑が執行されているが、連邦政府による死刑の執行は38年ぶりである。公式の説明としては、ブッシュ政権は、死刑を公開するのは遺族に「区切り」をつけてもらうためと述べている。 

 日米を除く先進国では死刑自体を廃止しているところが少なくないが、アメリカでは、民主党リベラル派が死刑反対論をとる一方で、「法と秩序」を重んじる共和党保守派は死刑賛成の立場をとる傾向にある。共和党のブッシュ大統領は、かつて全米で2番目に死刑が多いテキサス州の知事を務めた間に、一度も死刑反対論にくみしたことはなかった。また、司法長官のアッシュクロフトは、政府内でも最も保守的な思想の持ち主と見られている。 

 今回、死刑が公開されたことは、問題となった事件の特殊な性格にもよる。当該の事件は、168人を殺害したアメリカ史上最大のテロであったのみならず、連邦ビルを狙ったテロ、つまり連邦政府に対する反逆でもあった。犯人は、極右の自警団のメンバーであり、市民が重武装する自由を求めるとともに、それを規制する連邦政府に反感を持っていたと見られる。一方、連邦政府の立場は、連邦政府の存在と法の支配こそが市民的自由のために不可欠なものであるというものである。したがって、今回の死刑およびその公開は、一般にテロを許さないという意味と、特に連邦政府への反逆は許さないという、二重の意味で「見せしめ」の必要があると判断された結果といえるのではないか。(7月11日) 

(関連記事:毎日新聞2000年2月25日東京夕刊、CNN.co.jp 2001年4月13日、日経新聞など) 


・京都議定書に賛成しないアメリカの事情について(学生の質問に答える1)

 現在の与党、共和党は、環境保護のための規制よりも私企業の自由な活動を重視する傾向がある。地球温暖化問題については、問題自体の重要性が科学的に証明されていないという立場が、党内でもともと強い影響力を持っていた。ブッシュは2000年選挙では、途上国が入っていないことなどを理由に京都議定書を批判する一方で、火力発電所から排出される汚染物質の規制を公約に掲げるなど、環境問題に対する関心を示した。しかし、ブッシュは、大統領に就任すると同時に前政権の環境関連の行政命令を差し止め、3月には京都議定書への不参加を正式表明した。そのときに示された反対の理由は、(1)途上国の不参加問題、(2)米国の経済への悪影響、(3)カリフォルニア州を初めとするエネルギー危機であった。 

 石油企業関係者であるブッシュ大統領は、地球環境よりも自分を支援してくれているエクソンなどの企業の利益を重視すると述べたことが伝えられているが、現在のアメリカには、それとは別にエネルギー危機という大きな問題がある。これは、90年代後半の暖冬による天然ガスの減産や、日照りによる水力発電の低迷、電力自由化に関する政策的な失敗など、複数の要因を背景にカリフォルニア州で深刻化した。電力不足、電力価格の高騰、電力会社の倒産と続くエネルギー危機は、アメリカ経済に深刻な影響を与えることが懸念された。特に、90年代のアメリカ経済を牽引した情報産業の中心地、シリコンバレーは大量の電力を必要としているので、カリフォルニア州の電力不足と価格高騰は景気後退がささやかれ始めたこの時期には特に深刻に受け止められた。 

 また、電力自由化のもとで電力業界への投資を誘導し、生産増に導くためには、厳しい環境規制はマイナス要因と考えられた。京都議定書のCO2排出量規制は、電力業界への投資不足の一因と見られる同州の環境規制よりもさらに厳しいものであり、投資の不足と価格の高騰の問題を悪化させることが憂慮された。 

 このような背景において、もともと環境問題に熱心でないブッシュ大統領は、地球環境よりもアメリカ経済を優先させる決定を下した。ブッシュ政権は、国際的な数値目標の設定に反対し、各国の自主的な努力を求めている。 

 一方、日本は、当初このようなアメリカの立場に対する失望を表明していたが、小泉首相はその後「失望していない」と述べて態度を修正した。現在、日本は、アメリカの立場を理解するとして、アメリカと欧州諸国の架け橋になろうと積極的に働きかけている。しかし、京都議定書の批准を求める環境保護活動家は、国際的な数値目標の設定をしないというアメリカと妥協すれば、何らかの妥協が成立するとしてもそれはもはや京都議定書ではない、と日本政府の態度を批判している。欧・米間の架け橋となろうとする日本外交は、その曖昧さゆえに、欧・米の双方からの反発を招くリスクも負っている。(7月11日) 

(関連記事:全国地球温暖化防止活動推進センター; 田中宇の国際ニュース解説1月29日、5月7日) 


ブッシュ「回転ドア」政権と小泉「ワイドショー」内閣の日米関係

 2000年選挙中、ブッシュは、対立候補のゴア副大統領とは異なり、自分がワシントンとの結びつきを持たない地方出身の政治家であることをアピールした。アメリカでも日本と同様に、中央の政界に対する政治不信があるからである。しかし、ブッシュ新政権も結局は、「回転ドア」とか「インズ・アンド・アウターズ」と呼ばれる中央のエリートたちで固められている。 

 アメリカでは、大統領が政府高官の任命権を持っているので、政権が交代するとワシントンで官僚の大移動が起こる。「回転ドア」「インズ・アンド・アウターズ」とは、この大移動のたびに政府と民間を行き来し、キャリアを高めていくエリートを指す言葉である。民間人が政府の要職につくことができるというアメリカの政治制度は、民主主義を強化し、官僚制の弊害を取り除くために有益と考えられているが、実際には共和党寄りのエリート集団と民主党寄りのエリート集団が順番に出たり入ったり(イン・アンド・アウト)するだけという側面もある。実際、『朝日新聞』(6月28日)によれば、ブッシュ大統領が任命した政府高官300人のうち6割が以前に政権で働いた経験を持ち、そのうち7割以上が、父親のブッシュ政権のメンバーであった。 

 日本に特に関係のある外交・安全保障分野の閣僚や政府高官についてみると、父親のブッシュ政権時代の政府関係者が多いことが分かる。ただ、それと同時に、もう一つ目立つ特徴は、軍の関係者が多いという事実である。具体例をあげると、チェイニー副大統領の経歴は元国防長官、パウエル国務長官は元統合参謀本部議長、アーミテージ国務副長官は元国防次官補、ケリー東アジア太平洋担当国務次官補は元NSC補佐官、ラムズフェルド国防長官は元国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官は元国防次官、ライス国家安全保障担当大統領補佐官は元国家安全保障問題特別補佐官、パターソン・ホワイトハウス上級アジア部長は元国防省日本部長である。 

 ブッシュ政権は、しばしば「冷戦思考」から抜け出すべきことを海外に訴える一方で、海外からはブッシュ政権自体が「冷戦思考」から抜けきれないといわれる。それもそのはず、新政府の顔ぶれは父親のブッシュ政権期と大差なく、その多くは元軍関係者なのである。日本の政界やマスコミは、そうしたことよりもむしろ、ブッシュ政権に知日派が多いことを指摘し、彼らとの関係を大切にすべきことを訴えている。しかし、小泉政権下における日米関係の重視は、どこか空回りしているように思えてならない。 

 けだし、歯車が狂い始めたのは、先月、田中外相のNMD発言リーク事件がきっかけであった。日米関係の重視という基本路線が傷つけられたという大げさな反応がわき起こり、党の内外からバッシングを受けた外相は、日米外相会談では借りてきた猫のように振る舞い、日米関係の重視という分かり切った方針をただ確認して、いわばアメリカのご機嫌をとってきた。そして、NMD発言にナーバスになっていた中谷防衛庁長官は、この外相会談に合格点を与えるコメントを発表し、自らも訪米を果たした。中谷長官は、年長のラムズフェルド国防長官に対して、私の「父親」のような存在だと言ったら「そうだ」と返事をしてくれた、とご満悦であった。そして、今回、小泉首相がブッシュ大統領を訪問し、NMDのみならず、京都議定書の問題でまでアメリカの立場に理解を示し、日米の友好を深めてきたのである。 

 ロイターによれば、その結果いまやブッシュ政権のエネルギー長官は、「地球温暖化防止のための京都議定書からの米国の離脱を日本が支持したことで、同条約が発効しないことが、まさに確実になった、との見解」を示している。アメリカは、NMD問題でも京都議定書の問題でも主要国のほとんどすべてを敵に回し、孤立状態にあっただけに、小泉首相の発言内容はありがたい助け船と思われたことであろう。 しかし、いったい現在の日本が世界で期待されていることは、そういうことであったのだろうか。小泉政権が内外から期待を集めたのは、日本経済の低迷が世界経済に悪影響を与えないためにも、不良債権問題を精算し、民間に活力を与え、景気を回復しようとする国内改革のためではなかったのか。また、かりにNMDの推進に賛成し、地球温暖化にさほど関心のない保守的な現実主義の立場をとるとしても、他の問題とリンクさせてバーゲニング・チップとすることもなく、一般的な友好関係のためにアメリカにサービスをするのはいかがなものかという疑問もあろう。 

 このような最近の流れを振り返ると、ブッシュ政権の「知日」派と小泉政権の「親米」派には温度差があるように思えてならない。「知」と「親」とは、明らかに異なるものである。アナポリス海軍兵学校の出身者や軍の元関係者で占められるブッシュ政権の知日派は、軍事的・戦略的な観点から日本を利用したいと考えているが、日本側の意図はどこにあるのか。マスコミの前で、キャッチボールをした小泉首相のボールは、ブッシュ大統領からは投げ返されなかったが、日本側が受け取るものは実際のところ何であるのか。 

 小泉首相はNMD問題と地球温暖化問題でアメリカとヨーロッパの仲介役になると述べている。しかし、ヨーロッパ諸国に対しては、笑顔で「親欧」的な素振りを見せるだけではすまされない。特に、京都議定書問題では、議長国みずからがその内容を骨抜きにしかねないアメリカ寄りの態度を示したのであるから、今後この問題で日本がアメリカ以上にバッシングを受ける可能性も大いに出てきた。「小泉ワイドショー内閣」は、首相の青いシャツが素敵だという理由で、今回の首脳会談でも合格点をつけられるのか。こう考えるとむしろ、試されているのは、日本の「世論」かもしれない。小泉首相がNMDと地球温暖化の問題でアメリカとヨーロッパの仲介役になるということが、結果として日本の国益にかなうこととなるのか、国際社会に対する責任のあり方として正しいものとなるのか、当然のことだが世論は「結果責任」という観点からも自民党政権の動向を見守る必要がある。 
(7月3日) 

(『朝日新聞』6月28日、ロイター6月30日、7月1日、『毎日新聞』7月2日など) 


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