国際政治・アメリカ研究

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《2002年6月》
イラク情勢――アメリカの強硬姿勢と国際世論(小牧香代子)
「国土安全保障省」創設の方針を発表
印・パのカシミールをめぐる対立について(村上健悟)
  
《2002年5月》
米ロ首脳、戦略攻撃戦力削減条約(モスクワ条約)に調印
ジェニン難民キャンプ――パレスチナ情勢(村野瑞治)
有事関連3法案(柳沢かおり)

《2002年4月》
(雑感)独立の回復から50年の日本
(訃報)ルー・テーズ死去

《2002年3月》
イラクへの軍事介入はあるのか――イラクの査察問題と英米の介入姿勢
核実験による放射能が原因で、アメリカで1万5000人が死亡
同時多発テロ事件から半年――アメリカの政治情勢

《2002年2月》
「運命の日」時計――7分前
夢のない情報戦争と宇宙戦争――戦略影響局の廃止に寄せて
2003会計年度予算教書提出、国防費の大幅増額
  
《2002年1月》
米軍事戦略の見直しと新たな軍拡




《2002年6月》
イラク情勢――アメリカの強硬姿勢と国際世論

 ブッシュ米大統領が相手の攻撃に対する「自衛」の場合のみという条件付きであるが、イラクのサダム・フセイン政権を陥落させるためには「殺害」も辞さない方針を6月16日、米中央情報局(CIA)に命じたと報じられた。 

 昨年9月11日の同時多発テロ事件以来、ブッシュ大統領による対テロ軍事行動の対象とされているイラクへの強硬発言が頻繁になされるようになった。同大統領は大量破壊兵器を開発・入手しようとしているイラクをイラン、朝鮮民主主義人民共和国と並ぶ「悪の枢軸」と非難し、攻撃の可能性も示唆している。これに対して、イラク側も抗戦の構えがあることを明確にしている。 

 現在のアメリカ政府による反イラクの姿勢は、1990年のイラク軍によるクウェート侵攻に始まる湾岸戦争に端を発する。米軍を中心とする多国籍軍はイラクに対し、大量破壊兵器(生物兵器、化学兵器、核兵器、長射程ミサイル)とその関連施設の完全廃棄を定めた国際連合安全保障理事決議687の受諾を停戦条件とし、91年、イラクはこれを受け入れた。しかし、戦争開始以前より実施されているイラクへの経済制裁は現在も継続中である。イラクが国連安保理決議687にしたがっているどうか監視する国連大量破壊兵器特別委員会(UNSCOM、後に国連監視検証査察委員会UNMOVICへ)による査察に全面的な協力をしようとしないためである。UNSCOMは必要とされる場所を即時に査察できる権限を持つため、いまだ大量破壊兵器を開発・貯蔵しているとされるイラクは、たびたび「都合の悪い」施設への査察団の立ち入りを拒否してきた。 

 長期にわたる経済制裁でイラク国民に対する人道面での同情が高まったため、国連は96年、制裁を部分的に解除することを決めた。国連の管理下でイラクは石油の輸出を年間40億ドル相当まで許可され、その収入を医薬品や食糧などの人道物資の輸入、国連査察団の活動費、クウェート侵攻時の被害者への保障に当てることが定められた。だが、現在はイラクが国連の査察を拒否しているため、経済制裁の部分解除の措置は滞っている。 

 アメリカは湾岸戦争時のブッシュ政権からクリントン政権、そしてブッシュ新政権とイラクに対して、国連の指針とは離れて、強硬姿勢を続けてきた。93年には、巡航ミサイルのトマホークをバグダードの情報本部に攻撃し、94年には5万人超の兵士を湾岸地域に送るなど、クリントン政権では前政権以上の強腰姿勢をとった。 

 反イラクの姿勢を強くするアメリカに対して、ロシア、フランス、中国はイラクへの制裁の継続に批判的である。これらの諸国はイラクへ多額の債権を所持しており、石油売却による債権の返済と石油利権の獲得を期待しているのである。そして、日本もまたそうした債権諸国の中に含まれる。 

 長期にわたる制裁にも、イラクがなかなか屈しようとしない理由がここにある。実のところ、イラクに対する経済制裁が部分的に解除されても、国民の生活水準の改善にはほとんど影響していないのが現状である。むしろ経済制裁の部分的な解除によって利益を得ているのは、イラクよりもロシア、フランスなどの石油取引国や、これによってイラク国内での活動費をまかなえる、国連の方なのである。イラクはこうした利害関係を逆手にとって、ロシアやフランス、中国、日本をアメリカによる対イラク攻撃や制裁緩和のはたらきかけの楯にして、経済制裁の解除を目指している。 

 これらの経済的に大きな利害関係を持つ国々や、アラブ諸国を中心とした対イラク同情論は、イラクの査察拒否に対するアメリカの軍事制裁の方針に同調しない。 

 国際世論がアメリカに制裁の緩和を促すながれの中で、今年2月、パウエル国務長官が米単独でのフセイン政権の打倒を示唆した。アメリカ政府は、あくまで会談を重ねた上でイラクへの武器査察を実現させようとする国連との足並みを揃えようとしない。さらに、経済制裁はアメリカにとって、イラクが完全なかたちで安保理決議を履行するまでの一時的な措置に過ぎず、それが完全に達成されるまで制裁は続けると強調している。 

 アメリカとイラクの対立は、次第に戦争の危険をはらむものとなっている。今後、日本が、重要な石油取引国であるイラクとアメリカとの間でどのような態度をとるのか。その点にも注目する必要がありそうである。(2002/6/19 小牧香代子) 

(参考文献:『朝日新聞』2001/11/29, 2002/2/7, 3/12, 6/16; 酒井啓子編『イラク・フセイン体制の現状』プラザ出版、1998年; 『米国と中東』日本国際問題研究所、1998年; 『米国の対外政策と中東』日本国際問題研究所、1998年ほか) 


「国土安全保障省」創設の方針を発表

 6月6日、ブッシュ大統領は、テロ対策を統括する新省「国土安全保障省」を創設すると発表した。新しい省は、国防総省に次ぐ大規模組織(職員17万人、予算374億ドル程度)となる見込みであり、1940年代後半トルーマン政権が冷戦に備えて国家安全保障会議(NSC)や中央情報局(CIA)を創設して以来、半世紀ぶりの大規模な行政機構改革となる。新しい省の設置は、89年に復員軍人省が設置されて以来のことで、実現すれば15番目の省が誕生することになる。国土安全保障省は、昨年10月に新設された国土安全保障局とその他の政府関連部門を統合して、国土安全保障機能の強化を図るものである。長官には、国土安全保障局のリッジ長官が就任するとの見方が有力視されている。 

 このような新省の創設には、ブッシュ政権が昨年9月の同時多発テロ以前に十分なテロ対策をとらなかったという野党民主党の批判をかわす目的がある。今年の5月中旬、アメリカでは、ウサマ・ビンラディン氏の組織「アルカイダ」が航空機の乗っ取りを狙っているとの情報を政府が事前に入手していたという噂がマスコミに流れた。そして、ブッシュ政権がその事実を認めると、民主党議員は事前警告情報を入手しながら事件の阻止に失敗した共和党政権への批判を強めたのである。しかし、国土安全保障省の新設には、民主党議員の中に不要論や疑惑隠しとの批判もある。一方、ブッシュ政権としては、来年の1月から新設の省を本格的に始動させたい考えである。(2002/6/8) 

(関連資料:毎日新聞5月17日、6月7日) 


印・パのカシミールをめぐる対立について

 インドとパキスタンの緊張が領地を争うカシミールで起きたイスラム過激派によるテロ事件を機に、一気に高まっている。国境地帯には合わせて100万人近い兵力が集結していると伝えられ、一部では連日砲撃が交わされている。5月21日、インドのバジパイ首相はカシミールを訪問し、前線の兵士に対して「決戦の時が来た、この戦争に勝利する。」と演説した。パキスタン側も中距離弾道ミサイルを配備するなど、緊張は激化しつつある。 

 インドとパキスタンがカシミールを争う原因は両国の独立期にさかのぼる。1600年、東インド会社の設立以降、イギリスの支配下におかれていたインドには、562もの藩王国が存在していた。1947年、インドとパキスタンとしてイギリスから分離独立するにあたって、藩王国はインドかパキスタンのいずれかに帰属することになった。インドではヒンドゥー教徒の国を建国しようとしていたのに対し、パキスタンではイスラム教徒の国を建国しようとしていた。カシミール藩王国では、その藩主がヒンドゥー教徒であったのに対し、住民の8割はイスラム教徒によって占められていた。パキスタンに属するのが多数意思であったが、ヒンドゥー教徒の藩主はインドへの帰属を独自に決めてしまった。パキスタンはこれに対し、カシミール地方を武力を持って領有しようとし、インドと対立(第一次印パ戦争)。この戦争は、1949年の国連の調停によって終息し、カシミール地方は停戦ラインを挟んで分割されることになった。 

 その後、両国は大規模な紛争を2度もおこし、1972年に協定を結ぶものの、さらに両国は1998年に相次いで核実験をし、両国は事実上の核保有国となった。そして、カシミールの帰属をめぐる対立は現在にいたる。 

 カシミールの領有をめぐる印・パ間の問題を軍事力で解決することはできない。過去3度の戦いで両国はそれを思い知らされたはずである。そこで危機打開には、?カシミールから両軍の撤退、?核使用の抑制が必要である。そのためには、両軍の指導者は対話と交渉の道を閉ざさず、なんとしても戦争を回避しなければならない。 

 最近では、印・パとの関係の深い米・ロ両国も本腰を入れて調停に乗り出している。とりわけ、米国は、アフガニスタンでの対テロ戦争を遂行するためにパキスタン国内の軍事基地を利用しており、情勢の安定化を必要としている。インドとも合同軍事演習を実施するなど関係改善を図っており、印・パ関係の鎮静を望む立場だ。5月30日、米国は両国の関係を調停するために、ラムズフェルド国防長官を現地に派遣することを発表した。 

 印・パが本格的な武力衝突に至った場合、ひとつ間違えば核戦争になりかねない。そのような事態を防ぐために、両国を含め国際社会は何としても紛争の平和的な解決を図らねばならない(2002/6/5 村上健悟) 

(参考文献)『朝日新聞』2002年5月23日、27日、29日、31日; 西脇文昭『インド対パキスタン・核戦略で読む国際関係』(講談社、1998年)ほか。 

  

《2002年5月》
米ロ首脳、戦略攻撃戦力削減条約(モスクワ条約)に調印

 5月24日、米ロ首脳は、クレムリンで双方の戦略核弾頭の配備数を10年で約3分の1にする「戦略攻撃戦力削減条約(モスクワ条約)」に調印した。削減の規模など、合意の基本的な内容は、昨年11月の米ロ首脳会談で発表されていたものと変わらない。実戦配備のミサイルから外した弾頭を廃棄せずに貯蔵することが許されるというアメリカの立場と引き替えに、何としても合意の内容を条約の形にしておきたいというロシアの希望がかなえられたのである。 

  ともあれ、ブッシュ外交に対する国際世論の評価は改善されていないように見える。ブッシュ政権は、「ならず者国家」に大量破壊兵器の開発疑惑があることを厳しく非難する一方で、自国は形式的な核の「削減」条約を結ぶだけで核弾頭を廃棄しようとせず、また、インド・パキスタンの対立とミサイル実験を非難する一方で、臨界前核実験を繰り返し実施している。このようなブッシュ外交の二重基準がまかり通る状況は、外国の政府と市民のアメリカ政府への態度の違いを広げているように見える。ブッシュ政権と各国政府が表面的に友好的・協調的な外交を進める一方で、フランスやドイツを歴訪したブッシュ大統領は反米デモに遭遇せざるをえなかった。いまやアメリカ追従路線を鮮明にしているブレア英首相は「米国の飼い犬のように追随している」との批判に対して、「私はブッシュ米大統領のプードル犬ではない」などと弁明しなくてはならない有様である。(2002/6/8) 

(関連資料:毎日新聞5/16、23、24、26; 拙稿「戦略核兵器の削減とアメリカの単独行動主義」) 


ジェニン難民キャンプ――パレスチナ情勢

 もはやいつ解決するのかわからない問題として、イスラエルとパレスチナによるエルサレムをめぐる領土問題がある。これまでに何度も紛争を繰り広げてきた歴史を持つが、シャロン・クリード党首がイスラエル首相に就任するとパレスチナ側による連続自爆テロが起こるなど、両者の対立が深まった。今年3月にはPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長が監禁されるという状態に陥ったが、アメリカの仲介によりアラファトは解放され、膠着状態に陥っていた和平交渉に進展が見え始めた。しかし、1つの問題が取り上げられた。それはシャロン首相が、今回の闘争で生まれた難民が逃げ込んだジェニン難民キャンプへの国連調査団の受け入れを拒んでいることである。 

 この国連調査団の派遣問題で、ある疑惑が浮上した。それは、ヨルダン川西岸パレスチナ自治区のジェニン難民キャンプで難民の虐殺があったのではないかというものである。2002年4月2日に1平方キロメートルに1万5千人がひしめいているこのジェニンに対してイスラエル軍による本格的な侵攻が始まった。イスラエルは「テロリストを対象にしたもので、一般住民を狙ったものではない」と強調している。だが、その被害状況は、ブルドーザーや戦車によって約800世帯の約4,000人(キャンプ人口の4分の1)が住宅を失い、電気や水道も止まる、という悲惨なものである。死傷者の数に関しては、イスラエル側の発表は200人だが、パレスチナ側の発表では死者500人以上、行方時不明1,600人以上と大きな食い違いを見せている。しかし、どうやらパレスチナ側の発表に信憑性があるようだ。イスラエル側は「戦闘による犠牲者だ」と主張しているが、ジェニンの住民によると、イスラエル軍が戦車や武装ヘリを連ねて侵攻し、無抵抗な住民を次々と殺害したのである。さらに死体を焼却したり爆破して埋めたりしたというのだ。これは虐殺があったということに対する隠蔽工作としか思えない。 

 難民の虐殺は決してあってはならないことだ。一刻も早く国連調査団をジェニンに送り込み、真実を明るみに出し、難民に対する保護を徹底すべきだ。そのためにはやはり先進国がリーダーシップをとって動かなければならない、できれば難民に直接的にも間接的にもかかわっていない先進国がよい。例えば今回のイスラエルとパレスチナの問題で、アメリカが中心となって動いたとしたら、ユダヤ国家のイスラエルびいきの処置をとることを100パーセント否定できないと思われるからである。これから先も難民問題は解決の困難な問題としてあり続けるであろう。解決への第一歩としてまずは、平和に慣れすぎた先進国の人々の意識改革である。平和の中に置かれている人々には、ことの重大さをリアルに実感できないのである。国をあげてボランティアを推進することや、戦争の歴史をふり返る機会を設けるなどの措置が必要なのである。(2002/5/16 村野瑞治) 
 


有事関連3法案

 今、政府は、4月16日の臨時会議で決定された外部からの武力攻撃に対処するための、有事法制関連3法案について審議している。 

 有事とは、日本が他国から武力攻撃されそうなときに、首相が自衛隊に防衛のための出動を命令する状況のことをいう。そういう状況のときに、自衛隊や日本にいる米軍に特別な権限を与える法律を、有事法制としている。その3法案とは、有事対応の全体像を示す「武力攻撃事態法案」、自衛隊の行動を円滑にするための「自衛隊法改正案」、安全保障会議の機能強化を図る「安全保障会議設置法案」である。また、法が制定する武力攻撃事態とは、日本が直接攻撃を受けた場合だけでなく、その前の段階で、武力攻撃のおそれがある事態、そのさらに前で、武力攻撃が予測される事態の3つである。 

 武力攻撃事態が生じた際、政府は安保会議の答申を受けて、対処基本方針を策定する。次に、内閣に対策本部を設置し、国の行政機関や、地方自治体などが対処措置を実施する。その措置には、自衛隊の武力行使や部隊の展開、日米安全保障条約にもとづいて、自衛隊と共同行動する米軍への物品施設、業務提供を盛り込んだ。つまり、首相に地方自治体への「指示権」を与え、日本赤十字、日本放送協会、運輸会社などに協力義務を課すばかりでなく、その後の防衛出動時には、事実上、自衛隊が一般家屋などに「公用令書」を交付し、一方的に収用する権限を与えている。さらに、医療、土木、建築工事、運輸業者に「業務従事命令」で協力させることを定めて、いつでも運用可能な状況を作り出した。 

 加えて国民には、これらに協力するよう協力義務を課しており、自衛隊の作戦行動に必要な食料や燃料などを保管するための民間業者らに出される命令では、従わない者への罰則もある。このように、有事法制は、国民に対して、強制力を持っている。「有事」とは、国土と国民の生命、自由と基本的人権の確保にかかわる問題であるのにもかかわらず、これらを保護する法案は先送りされたため、国民に不安が根強い。 

 「武力攻撃事態法案」が想定する有事は、外部からの武力攻撃にほぼ限定されている。しかし、現在の世界では、国家による侵略行為よりも、国際組織、勢力によるテロや武力攻撃による脅威のほうが、差し迫っている。そうした分野の法的整備は、武力攻撃事態法施行の日から2年以内に行おうとしているが、従来の戦争概念に当てはまらず、既存の行政組織や法体系では、対応できない。 

 わが国の有事法制には、国内だけでなく、近隣諸国であり、過去の日本との戦争で大きくかかわった、中国や韓国も強い関心を持っており、両国とも日本がかつての軍国主義に戻ってしまうのではないか、と警戒感を示している。  

 万一に備える法の整備は基本的には必要であろう。しかし、これらの法案には、いまだ曖昧な部分も多く、憲法9条の在り方、日米間における周辺事態法などとも切り離して考えることができない。国民の基本的人権にかかわる重要な法案の審議が、スキャンダルにまみれた政府に任せておけるのか。しかも、国民の意識がワールドカップに逸れている時期を選んで進められていることは、ますます、国民に不信感を募らせている。国民義務を課すものだけに、有事法案の全体像を明らかにし、国民の前で、徹底的に議論し、賛成、反対、それぞれの意見を聞いて充分に議論を尽くすべきであろう。(2002/5/22 柳沢かおり) 

(参考文献:『朝日新聞』2002/4/17, 5/4, 5/6;  池上彰『わからなくなった世界情勢の読み方』講談社、2001年; 『アメリカ‘ズ’ウォーと世界』NHK出版、2002年など) 
 


《2002年4月》
(雑感)独立の回復から50年の日本

 今日(4月28日)は、サンフランシスコ講和条約が発効して50年、すなわち日本が独立を回復してから50年の記念日である。私は鶴巻温泉で英会話学校の慰安旅行らしき一行に遭遇し、さまざまの人種・民族とともに露天風呂に入りながら、この半世紀の間、日本が曲がりなりにも平和を維持してこれたことに感謝した。しかしながら、私はその一方で、家路に向かう電車の中で、次のようにも思わざるをえなかった。たしかに、日本は、物理的には見事に復興を果たしたが、国民が文化的で幸福な人生を送ることのできる社会をつくることに成功したといえるであろうか。小泉政権の有事法制案や対米追従外交は、日本人が半世紀をかけて追い求めてきたものであったのか、と。 
 


(訃報)ルー・テーズ死去

 20世紀を代表するプロレスラーで、「鉄人」の異名を取るルー・テーズ(Lou Thesz)が、27日、フロリダ州オーランドの病院で死去した。86歳。ルー・テーズは、相手の力量に応じて得意技バックドロップの角度を調整するなど傑出した力量を持つレスラーであり、936連勝や計6度の世界王者の記録を保持する。日本のプロレス界に与えた影響も大きい。 
(2002/4/29) 
 


《2002年3月》
イラクへの軍事介入はあるのか――イラクの査察問題と英米の介入姿勢

 昨年11月下旬、アフガニスタンにおける対テロ報復戦争の見通しが立つようになった頃から、アメリカ国内でイラクに対する強硬論が台頭し、今日に至るまでイラク情勢の緊迫が伝えられている。以下、この間の経緯を振り返ってみたい。 

 昨年11月21日、ブッシュ政権のボルトン国務次官と会見した毎日新聞の報道によれば、ボルトンは「アフガニスタン攻撃が終わった段階で米国は対イラク政策を決める」と述べて、軍事攻撃の可能性を示唆した。もとより、アメリカは、同時多発テロ事件に対するイラクの関与の証拠をつかんだわけではないが、ボルトンは、イラクが「ウサマ・ビンラディン氏と関係があったかどうかは問題でない」と述べ、核兵器や生物・化学兵器など大量破壊兵器の開発計画を持ち、訓練基地提供や資金面で国際テロ組織を支援しているイラクは同時テロと無関係でも「テロとの戦い」の対象になりうるとの立場を示したのである。(毎日新聞2001年11月23日) 

 イラクは1998年英米軍の空爆以降、国連による兵器査察の受け入れを拒否してきた。そして今年1月、ブッシュ大統領は一般教書演説において、イラン、イラク、北朝鮮が大量破壊兵器と弾道ミサイルの開発を進めていることを厳しく非難した。その際、ブッシュがそれらの国々を「悪の枢軸」と呼んだことによって、名指しされた国々は一様に反発を示した。アメリカが単独行動主義的にイラク侵攻を決めるのではないかという不安が、国際社会に広がった。 

 2月16日、フセイン大統領は国営イラク通信を通じて、大量破壊兵器の獲得の意思を否定した。しかし、17日アメリカのパウエル国務長官はフセイン発言を一蹴した。18日アメリカのチェイニー副大統領がブッシュの「悪の枢軸」発言を擁護すると、21日イラクのラマダン副大統領は、アメリカ政府を「悪の政権」と呼んで応酬した。24日付のイギリスの『オブザーバー』紙は、ブレア首相が4月に訪米し、イラクに対する軍事作戦の詳細についてブッシュ大統領と会談する予定であると報じた。そして翌日、国連のアナン事務総長は、ブレア首相と会談した後、アメリカがイラクに対して軍事行動を開始することは賢明な策とはいえないとの認識を示し、3月7日にニューヨークでイラクのサブリ外相と会談すると発表した。ブッシュ大統領がイラク攻撃をほのめかした後、フセインは国連との間で前提条件なしで対話を再開したいと申し出ていたのである。(ロイター2月18、20、22、26日、3月1日、毎日新聞3月8日) 

 2月下旬、イラクの元政府関係者200人以上が、アメリカ政府の支援の下、フセイン政権転覆計画の立案に向けて3月第3週にワシントンで会議を予定していることが報じられた。一方、イラクのアジズ副首相は、3月4日付の仏『フィガロ』紙とのインタービューで、イラク側には徹底的に抗戦する用意があるので、もしアメリカがイラクに侵攻する場合には多大な犠牲を覚悟する必要があると警告した。このようにして3月には、イラクが国連の査察を受け入れるのか、それとも本当に英米のイラク侵攻があるのか、が国際社会の関心を集めた。イギリスのブレア首相は、6日付の英『デイリー・エキスプレス』紙への寄稿で、国連の査察を受け入れないイラクを厳しく非難するとともに、現段階では具体的な軍事行動計画はないものの将来的にはその可能性があることを示唆した。さらに同日、アメリカの国家安全保障会議の文書がマスコミに漏洩し、アメリカの国防省がイラクへの軍事オプションを大統領に勧告していることが明るみに出た。これらの寄稿や情報漏洩は、7日に予定されたイラクのサブリ外相とアナン国連事務総長の会談に影響を与えるために、イラクに圧力を加える狙いがあったと見られる。ただし、7日、パウエル国務長官は、 4月の英米首脳会談の目的がイラク攻撃に関する軍事作戦を協議することにあるとした一部の報道を否定し、イギリスの閣議では一部の閣僚がイラク攻撃に加わることに反発して英軍を派遣する場合には辞任する意向を示したことが報じられた。(ロイター2月28日、3月4日、6日、8日、FT.com, 6 Mar 2002) 

 3月7日、国連のアナン事務総長とイラクのサブリ外相がニューヨークの国連本部で大量破壊兵器の査察問題を主要なテーマとする対話を再開した。国連側が査察受け入れを改めて求めたのに対し、イラク側は「査察官がスパイ活動をすることなどを真剣に懸念している」と反論した。ただ、会談後イラクと国連はともに今回の交渉が有益であったと述べており、4月中旬に改めて対話が行なわれる予定である。8日、国連安全保障理事会の非公式会議が開かれ、安保理は国連とイラクが対話を継続することを支持すると表明した。また、カニンガム米次席国連大使は、国連とイラクが4月中旬に2回目の対話を開くことについて支持を表明した。ただし、その一方で、国務省のバウチャー報道官は同日の記者会見で、イラクの姿勢に強い不満を表明した。ロシアのラブロフ国連大使は、安保理がイラクへの経済制裁の解除条件を変更しないかぎり同国が査察を受け入れる可能性は低いであろう、との見通しを示している。(毎日新聞3月8日、9日、ロイター3月9日) 

 3月9日、1月に完成したアメリカの核態勢見直し秘密報告書の内容がマスコミにリークし、イラク、イラン、北朝鮮など7カ国がアメリカの核の標的とされていることが暴露された。非核保有国に対する核攻撃オプションは、核拡散防止条約(NPT)体制の根幹を揺るがす問題であるが、リークのタイミングからして特にイラクの査察問題を念頭に置いた圧力であったのかもしれない。11日、ブッシュ大統領は同時多発テロ事件から半年を迎えた追悼式典で「テロとの戦い」が第二段階に入っていることを述べるとともに、テロリストが大量破壊兵器の開発を目指す国家と協力することの危険性を指摘したが、このときはイラクなどを名指しすることは差し控えられた。しかし、13日、ホワイトハウスでの記者会見では、ブッシュ大統領はイラクの大量破壊兵器開発問題に深い懸念を表明し、アメリカ側の対応策として「あらゆる選択肢」がありうるとして武力行使も辞さないという方針を確認している。(毎日新聞3月10日、12日、14日) 

 ブッシュ政権は、チェイニー副大統領を中東に派遣して、イラク包囲網の構築を狙っているが、武力行使というオプションは諸外国の賛同を得られそうにない。12日、チェイニー副大統領は、中東11カ国歴訪の最初の訪問国ヨルダンでアブドラ国王と会談したが、国王はアメリカの強硬策に警戒心を示した。14日、チェイニーは、イエメンでサレハ大統領と会談し、「アルカイダ」の掃討作戦で共闘することでは一致したものの、イラク攻撃については反対の立場を伝えられた。16日、チェイニーは、サウジアラビアのアブドラ皇太子と会談したが、皇太子は、アメリカが計画するイラク攻撃に際して国内基地の使用を拒否し、攻撃自体にも反対の意向を示した模様である。一方、EU首脳会議に参加したブレア首相は、米英が中心になって進めているイラク攻撃への協力を取りつけようと、EU加盟国へ根回しを図ったが、失敗した。首相は議長国スペインなどと協議する前に、シュレーダー独首相に相談したが、独側は「攻撃参加には国連安保理の決議が必要」との慎重な立場を表明した。(毎日新聞3月13日、16日、時事通信3月15日) 

 イラクのラマダン副大統領は、汎アラブ紙『アッシャルクアルアウサト(Asharq Al-Awsat)』(3月18日付)とのインタビューで、査察の対象と期間を限定するという条件で、国連の査察を受け入れる意思があることを初めて明らかにした。しかしながら、アメリカは条件付き査察は拒否する立場を示しており、国連がイラク側の条件を受け入れる見込みはない。ラマダン副大統領の発言は、査察受け入れに柔軟な姿勢を示すことによって、国際社会に揺さぶりをかける狙いがあるとみられる。なお、ムバラク・エジプト大統領はチェイニー米副大統領との会談でイラクに査察を受け入れるよう説得する考えを示し、「イラクは査察を受け入れると思う」と語っていたという。4月に予定されている国連とイラクの協議が注目される。(毎日新聞3月19日) 
  
(2002/3/19;  4/28) 

  

核実験による放射能が原因で、米で1万5000人が死亡

 アメリカにおける被爆の実態が明らかにされた。『USAトゥデー』紙(2月28日付)が厚生省の報告として報じたところでは、アメリカでは、癌で死亡したうちの少なくとも1万5000人が、冷戦期の核実験による「死の灰」の影響を受けていた可能性が高いという。そのほかに、死に至らないまでも2万人の癌患者が死の灰の影響を受けているとみられる。この報告は、従来考えられていたよりも大規模な被爆が、アメリカ国内にあったことを示唆している。(2002/3/19) 

(関連記事、ロイター3月1日; 『USAトゥデー』2月28日) 
 


同時多発テロ事件から半年――アメリカの政治情勢

 昨年9月11日の同時多発テロ事件から半年が経過した。テロ事件以後、アメリカ国内の団結と国際協調の必要が説かれ、ブッシュ政権に批判的な言動が許されない雰囲気が広がっていたが、最近ではそのような状況に変化が見られるようになってきた。これは、第一に、「テロとの戦い」をめぐる情勢が落ち着いてきたためであり、第二に、この先に中間選挙が控えているためである。 

 まず、国際世論の動きを見ると、ブッシュ大統領が1月末の一般教書演説でイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指ししたことに対してヨーロッパやロシアは概ね批判的であった。また、ブッシュ政権は、2月中旬に京都議定書に代わる地球温暖化防止策として、経済成長率に応じて温室効果ガスの削減目標を設定し、企業の自主的な削減を促すという代替案を発表したが、ドイツ、イギリス、カナダなどが相次いで失望感を表した。そして今月上旬、ブッシュ大統領が、米通商法201条に基づき、輸入鉄鋼製品に緊急輸入制限(セーフガード)を発動することを決めたのを受けて、日本、EU、ロシアはアメリカの保護主義への動きに反発している。(ロイター2月15日、16日、20日、3月4日、6日) 

 次に国内では、民主党が、先月末から政府批判を強めてきた。アメリカの景気後退が底を打ち、これから景気が回復に向かうとなると、当然選挙では政府与党の共和党が有利になることが予想される。そこで、民主党としては、テロ事件以後差し控えていた政府批判に乗り出したのである。2月28日、民主党のダシュル上院院内総務が、テロとの戦いの長期的な成功の見通しを「疑わしい」と述べたのをはじめ、ゲッパート下院院内総務やバイデン上院外交委員長も、超党派外交のための議会への相談を怠るブッシュ政権への不満をあらわにした。また、今月3日ダシュルは、ブッシュ政権がテロ事件後に政府機能が麻痺した場合に備えて「影の地下政府」を発足させた問題についても、議会に十分な情報を提供せずに重要な決定を行なったとして政府の姿勢を厳しく批判した。(『読売新聞』3月1日、『毎日新聞』3月4日) 

 最後に世論の動向としては、現在までのところブッシュ大統領の支持率は一貫して高い。しかしながら、今月はじめ、ブッシュ政権がテロ事件の遺族に平均2億4000万円の政府補償金を支払うことを発表すると、これまでタブーとされてきた遺族への悪口も聞かれるようになった。この政府補償金は、一つには関連する航空会社などが賠償請求で倒産に追い込まれることを回避するための策であるが、遺族は補償金の増額を求めるなど不満を表明している。こうした事態に対して、国民の中からは遺族を「テロ成り金」などと非難する声もあがっているという。実際、2億4000万円が高いか安いかは判断が分かれるであろうが、なけなしの貯金の中から義援金を送った人々の中には、高すぎる補償に納得がいかない人もいるであろう。なお、アメリカが誤爆によって殺害したアフガニスタン人の遺族に対してその2000分の1(13万円)しか支払われないことにも疑問が残る。(『朝日新聞』3月10日) 
(2002/3/10) 

  
《2002年2月》

・「運命の日」時計――7分前 

 現在、日本で核戦争の脅威を感じている人はどれだけいるであろうか。冷戦の発生当時から核戦争の脅威を訴え続けてきた原子科学者たちの雑誌「原子科学者会報(the Bullertin of the Atomic Scientists)」は、核戦争の勃発までにどれだけの時間が残されているかを示す「運命の日時計(Doomsday Clock)を管理してきたが、2月27日に針が2分進められて、1947年に設置されたときと同じ7分前に設定された。その理由としては、アメリカの弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの脱退、核兵器を持つ印パの対立、核の取得を狙うテロリストの存在などが挙げられており、米ロのさらなる核軍縮や核分裂性物質の生産禁止(カットオフ)条約の交渉を進める必要性が訴えられている。以下、時計が設置されて以来の針の動きをグラフにしてみた。 
 
1947 ■■■■■■■ 7分前
1949 ■■■ 3
1953 ■■ 2
1960 ■■■■■■■ 7
1963 ■■■■■■■■■■■■ 12
1968 ■■■■■■■ 7
1969 ■■■■■■■■■■ 10
1972 ■■■■■■■■■■■■ 12
1974 ■■■■■■■■■ 9
1980 ■■■■■■■ 7
1981 ■■■■ 4
1984 ■■■ 3
1988 ■■■■■■ 6
1990 ■■■■■■■■■■■ 10
1991 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 17
1995 ■■■■■■■■■■■■■■■ 14
1998 ■■■■■■■■■ 9
2002 ■■■■■■■ 7
(2002/2/28) 
(関連記事:朝日新聞2002年2月28日) 
 


夢のない情報戦争と宇宙戦争――戦略影響局の廃止に寄せて

 21世紀の国防省は「全領域における優越(Full Spectrum Dominance)」の確立を目指すことを宣言しており、陸・海・空のほかに、情報と宇宙という作戦領域を重視している。 

 情報というと中央情報局(CIA)のスパイ活動が思い浮かぶが、最近は情報革命の一つの帰結として宇宙の問題と深く絡むようになっている。21世紀の経済と戦争を決定づけるのは情報力であり、情報力を決定づけるのは宇宙能力である、というのが、合衆国宇宙司令部(U. S. Space Command)の主張である。宇宙司令部などというとSF小説か少年マンガのように思われるかもしれない。実際、その活動を宣伝する報告書はまるで映画のパンフレットのようでもある。しかし、これは、コロラド州ピーターソン空軍基地に実在する米軍の一部門であり、相手軍のコンピュータを攪乱するためのウィルスなど「サイバー兵器」の開発のようなことにまでかかわっていると言われる。 

 ただ、私個人の意見では、合衆国宇宙司令部には夢も希望も感じられない。というのは、宇宙司令部が予測する未来の活躍のシナリオは、次のようなものだからである。すなわち、21世紀の世界ではグローバル化によって「持てる者」と「持たざる者」の格差が広がると同時に、情報化によって後者が前者の暮らしぶりを知るようになるため、「持たざる者」の不満が蓄積されて地域紛争が頻発する。そこで、宇宙司令部は「持たざる者」の不満によって生じる危険から「持つ者」つまりアメリカ人の利益を守ろうということになるのである。およそ軍隊の役割とは自国の防衛にあるのは事実だが、このシナリオは少年漫画に出てくる「弱きを助け・・・」といったヒーローのイメージとはあまりにもかけ離れている。 

 ラムズフェルド国防長官は年齢のわりには新しもの好きで、ミサイル防衛や宇宙防衛や情報戦争に特に関心がある。彼は就任と同時にミサイル防衛を強力に推し進め、01年5月には米軍の宇宙部門を整理統合して格上げし、11月には対テロ情報戦争のための「戦略影響局」を新設した。しかし、最後の点に関しては、珍しく彼の行き過ぎがブッシュ大統領の怒りを買ったようである。ブッシュ大統領は、戦略影響局の設置を最近知らされたばかりであるが、同局が「偽情報」を外国報道機関に流し、各国の世論や政策決定を誘導する計画を持っていることに強い不快感を示したのである。その翌日にあたる02年2月26日、ラムズフェルド国防長官は、戦略影響局の廃止を発表した。(2002/2/27) 

(関連記事:朝日新聞2000年1月7日、毎日新聞2002年2月26日、27日) 
 


2003会計年度予算教書提出、国防費の大幅増額

 2月4日、ブッシュ大統領は、2003会計年度(02年10月〜03年9月)の予算教書を提出した。歳出全体の額は約2兆1280億ドルで、前年度比8.5%増となるが、中でも国防予算は、前年度実績見込みから480億ドル(15%増)も伸びて、前年度の予算教書時と比較すると22%増の3790億ドル(約50兆円)に達した。 

 アメリカの国防予算は、冷戦の終結を受けてクリントン政権期には実質的に削減される傾向が続いたが、ブッシュ政権では2年連続の大幅増額となり、「第二次冷戦」といわれたレーガン政権期以来の伸び率となっている。 

 なお、アメリカの国防予算の推移を別表にまとめてみた。(2002/2/10) 

(関連記事:朝日新聞2月4日、米国防予算の推移) 
 

《2002年1月》

米軍事戦略の見直しと新たな軍拡

 昨年(2001年)5月1 日の国防大学演説でブッシュ政権の国防政策の大枠が発表されたのに続き、9月30日付で「4年ごとの国防政策見直し(QDR)」が提出され、今月8日には核戦略の見直し報告が提出された。国防力の再編が進む中で、国防予算も増えている。クリントン政権が編成した2001会計年度の国防予算が2963億ドルであったのに対して、ブッシュ大統領が昨年2月に提出した予算教書に盛り込まれた2002会計年度国防予算案は3105億ドルであった。昨年6月、国防総省は2002会計年度の国防予算修正案を3289億ドルと発表し、今月10日、ブッシュ大統領は、2002年度の国防予算案3172億ドルと、同時多発テロに伴う軍事作戦などに200億ドルを認める緊急予算案に署名した。2003年度の国防予算案は、さらに大幅に増額される予定である。 

 核戦略見直し報告は、機密扱いであり、その詳しい内容は明らかでない。1月10日付の読売新聞は、同報告について次のように説明している。「米国防総省は9日、1994年以来8年ぶりとなる『核戦略見直し報告』の概要を公表した。報告は、米露合意どおり2012年までに戦略核弾頭数を1700-2200発に削減することを明記。『今後の世界で不測の脅威が高まる』とし、旧ソ連との均衡を柱とした抑止戦略との決別を宣言したうえで、『予測不能な事態に備え、核戦力をハイテク通常戦力やミサイル防衛網など防衛手段と統合的に柔軟運用する』との新核戦略を打ち出した。」 

 ブッシュ政権は、もともと昨年5月の国防大学演説で核軍縮の推進とミサイル防衛重視の方針を打ち出していたが、9月の同時多発テロを受けてQDRではテロなど「非対称な脅威」からの米本土の防衛を重視する路線が打ち出された。10月には米国土安全保障局が設置された。アメリカの言論界では、同時多発テロを受けて、アメリカにとって主たる脅威は弾道ミサイルではないのではないか、という声も多く聞かれた。しかし、ブッシュ政権は引き続きミサイル防衛重視の路線を崩さず、2002年1月4日には「弾道ミサイル防衛局(BMDO)」を改組、「ミサイル防衛庁(MDA)」に格上げした。10日に署名された2002年度国防予算では、ミサイル防衛予算は前年度比約30億ドル増の80億ドルが割り当てられている。 

 ブッシュ大統領は、2000年選挙以来、国防政策の立て直しを最大の公約として掲げてきた。また、歴史的に極めて珍しい現象として、アメリカの世論は昨年に同時多発テロが発生する以前から、国防予算の増額を支持していた。そして、テロリストは、結果的にブッシュ政権を最も利する行為を行なったのであった。アメリカ国民が右傾化する中で、いまや新たな軍拡を止めることは至難の業である。 

 ミサイル防衛を中心とするブッシュ政権の安全保障政策については、勉誠出版から4月に出版する予定の共著『ブッシュとアメリカ政治(仮題)』の中で詳しく論じることにしたい。 


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