国際政治・アメリカ研究

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目 次

《2006年12月》 
ジェームス・ブラウンの死去――ファンク・ミュージックの父
『学術論文の技法(新訂版)』重版とリンク切れ修正
ゲーツ国防長官の就任とイラク政策の見直し
ボルトン国連大使の辞任

《2006年11月》 
経済学者ミルトン・フリードマンが死去
アメリカン・ロックの巨匠J.J.ケイルはいまも健在
2006年中間選挙――民主党が上下両院を制する

《2006年10月》 
全米人口、3億人を突破
(新刊案内)アメリカ政治外交と国際政治に関する新刊書籍
北朝鮮のミサイル発射実験と核実験

《2006年7月》 
W杯ドイツ大会決勝戦とジダン(竹川宣行)
 


《2006年12月》 

ジェームス・ブラウンの死去――ファンク・ミュージックの父

 JBこと、歌手のジェームス・ブラウンが25日、ジョージア州アトランタの病院で死去した。ニューヨークタイムズ紙(電子版)は一面で 「20世紀の音楽を永久に変化させた歌手・作曲家・バンドリーダー・ダンサーが、本日、死去した」と、写真付きで報じた。享年73歳。代表曲は「セック ス・マシーン」など。彼の音楽は最近の若者に人気のラップ、ヒップホップ、レゲエなどに多大な影響を与えており、見方によっては、現代のポピュラー音楽に 残した功績の大きさはビートルズに比肩できるかもしれない。

 「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」の異名で知られるが、彼のオリジナルな功績を讃えるためにはファンク・ミュージックの創始者と評した方がよいのではないか。初期の名盤とされる"Live at the Apollo"(1962)はバラード中心の選曲だが、1970年の代表アルバム"Sex Machine"では有名なファンク・ナンバーが多く収録されている。

 ゴスペルの流れを汲み、サム・クックを父とする正統なソウル・ミュージックの歌手としては、レイ・チャールズ、オーティス・レディング、 マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリンといった名前が思い浮かぶ。実際のところ、JBの歌声は彼らよりも美しくないかもしれない。しかし、彼の音楽の魅 力はむしろ激しさと強さ、「ワル」っぽい格好良さ、「ノリ」のよさにある。JBの真骨頂は、裏拍をうまく使ったファンキーな16ビートのダンス音楽にある が、そうした音楽で重要なのはメロディーラインやメッセージ性というよりもとにかく「ノリ」がいいかどうかということだ。JBは「ショービジネス界一番の 働き者」を自称するエンターテイメントの探求者でもあり、マント・ショーで有名なステージ・パフォーマー、ダンスの名手でもあった。

 現在のアメリカは、正統派のベビーフェイス(善玉のヒーロー)よりも「ワル」っぽい雰囲気のあるヒール(アンチヒーロー)の方が格好良 いとされ、支持される傾向がある。ヒップホップが流行しているのもそうした価値観と関係があり、そうした価値観の変化とともにJBの功績は半ば神格化され てきたようにも思われる。まだ聴いたことのない人には、とりあえずベスト盤をお勧めしたい。(2006/12/25)


『学術論文の技法(新訂版)』重版とリンク切れ修正

 『学術論文の技法(新訂版)』 の重版を機に、リンク切れを訂正し、アップデートしました。同書で紹介したサイトのいくつかが、出版からわずか1年半の間に閉鎖されたり、運営母体が変 わったり、URLを変更したりしたためです。ネットの世界は変化がめまぐるしく、それを取り上げる印刷媒体はすぐに時代遅れになってしまいがちですが、機 会があればその都度訂正していくしかありません。

 なお、ついでにこのホームページのリンク切れについても1年半ぶりに訂正しました。イギリスの社会科学のゲートウェイ"SOSIOG"が"intute"に吸収されたので、"intute"に連絡して検索機能付でリンクを張らせてもらいました。"intuteの検索では、社会科学だけでなく人文科学・健康科学・工学分野のデータベースも利用できます。(2006/12/20)


ゲーツ国防長官の就任とイラク政策の見直し

 アメリカ国内でイラク政策に対する批判が高まる中、11月の中間選挙での敗北を受けて、事実上の更迭が決まっていたラムズフェルド国防長官が、今月15日に退任した。後任は元CIA長官のロバート・ゲーツ氏で、18日、ホワイトハウスで就任の宣誓が行われた。

 イラクからの米軍の早期撤退に反対するラムズフェルドに対し、ゲーツは超党派組織「イラク研究グループ」のメンバーとしてイラク政策見直 しを検討してきた。6日、ブッシュ大統領に提出された同グループの報告書は、米軍の段階的撤退を勧告し、米軍の任務を戦闘からイラク治安部隊の支援に移す ことを提案しており、今後、アメリカのイラク政策の転換が注目される。

 同報告書については、共和党タカ派議員の間で批判があるものの民主党には概ね支持されている。国連アナン事務総長は「極めて前向き」と 評価、ベケット英外相も「英国の外交政策ともおおむね合致する」との声明を発表している。ブッシュ大統領は、同報告書を真剣に検討中であるが、新しいイラ ク政策については「長くしっかりした協議を経て発表する」と述べ、決定は新年まで延期される見込みである。ブッシュ政権内には、イラク情勢を沈静化するた め一時的に米軍を増派してから撤退を始めるという案も検討されているが、国防総省や現地司令官もその案には否定的であると伝えられている。 (2006/12/20)

(参考文献)ロイター12月7日・12日、毎日新聞12月7日・10日・14日、産経新聞12月7日・8日、読売新聞12月16日、時事通信12月18日。


ボルトン国連大使の辞任

 4日、ホワイトハウスは、ブッシュ大統領がボルトン国連大使の辞任を承認したことを発表した。ボルトンは、単独主義的な外交思想の持ち主 で、かねてから国連を軽視する発言を繰り返していたため、昨年大統領が指名したときも彼の承認問題で議会が紛糾して決着がつかず、結局、上院の閉会中に大 統領が官吏の補充を行う権限を利用して議会の承認を得ないまま国連大使の職に就いた。憲法第2条第2節によれば、官吏がそのような形で職に就いた場合の任 期は、次の会期の終わりまでとされており、この年末に任期切れが迫っていた。大統領は、ボルトンの続投を望んだが、11月の中間選挙で民主党が過半数を獲 得したため大統領が再び指名しても上院で承認されないことが確定し、ボルトンはやむなく辞任する形となった。(2006/12/20)

(参考文献)産経新聞12月5日
 

《2006年11月》 

経済学者ミルトン・フリードマンが死去

 11月16日、ノーベル賞受賞経済学者のミルトン・フリードマンが心不全のため94歳で死去した。フリードマンは、財政政策よりも金融政 策を重視するマネタリストの代表的な存在で、1970年代のスタグフレーションでケインズ主義の限界が露呈される中で注目され、80年代のレーガン政権の 保守的・自由主義的な「小さな政府」論を理論的に支えた。おもな著作として、『資本主義と自由』『選択の自由』『政府からの自由』など。 (2006/11/25)

(参考資料)毎日新聞11月17日
 


アメリカン・ロックの巨匠J.J.ケイルはいまも健在

 一昨日、新聞の朝刊を開くと、J.J.ケイル&エリック・クラプトンの新譜「ザ・ロード・トゥ・エスコンディード」の広告がテレビ欄に大 々的に掲載されていた。これは、世界的に有名なエリック・クラプトンの来日コンサートにあわせてのことであるが、日本の新聞のテレビ欄に大抵の人が知るは ずのない「J.J.ケイル」という名前が大きく書かれていることに何年かぶりにドキッとさせられ、すぐにパソコンをつけてamazonで注文、本日配達さ れたのでさっそくCDを聴いてみた。1曲目Dangerの前奏を聴いてすぐにわかったことだが、うれしいことに、J.J.ケイルはいまも健在であった。

 私の勝手なイメージでは、アメリカの荒野のハイウェイにポッツリと立っている埃っぽいガソリン・スタンドで、無表情な白髪のおやじが少 し汚れたシャツとジーンズをはいてポンコツの車に自分でガソリンを給油していたら、そいつがJ.J.ケイルかもしれない。そうでなければ、それはレオン・ ラッセルか、ライ・クーダーか、ZZトップの片割れかもしれない。しかし、もしミュージシャンらしさが感じられず、どこをどう見ても普通のオヤジにしか見 えないなら、やはり一番くさいのはJ.J.ケイルである。つまり、J.J.ケイルとは、観光地や繁華街ではなく真にアメリカ的な風土や文化に根ざした音を 出せる、アメリカン・ロックの巨匠なのである。

 J.J.ケイルには、ヒット曲は一つもないし、ヒット・アルバムも一枚もないし、特に精力的にライブをしているわけでもないし、メディ アに露出することも滅多にない。おそらく、クラプトンのライブで定番の曲「コカイン」の作曲者ということが一番有名だろう。有名にしたという点では、ジェ フ・ベックがロイ・ブキャナンを有名にしたような関係に近い。しかし、おそらくクラプトンの場合は、リスペクトの度合いがぜんぜん違う。クラプトンは、ブ ルーズに憧れながら本物の黒人ブルーズマンと同じような演奏ができないことを悟って挫折を味わった。おそらく、クラプトンはそれと同じような憧れの気持ち をJ.J.ケイルに対して抱いているのではないか。だからこそ、B.B.キングとの共作に続いてJ.J.ケイルとの共作アルバムをプロデュースしたと思わ れるのである。

 J.J.ケイルの音楽は、最近の日本人には渋すぎるようだが、彼のギターは「わび」「さび」という表現がぴったり来る。クラプトンの渋 さが1とすれば、J.J.ケイルの渋さは100。クラプトンの演奏が一眼レフでとったカラー写真なら、J.J.ケイルの演奏は水墨画というか、書道の世界 である。「ザ・ロード・トゥ・エスコンディード」が歴史的名盤だというようなつもりはまったくないが、J.J.ケイルとクラプトンの両方を知っている人に とっては、期待を裏切らない内容であり、だいたい想像通りに仕上がっている。

 なお、J.J.ケイルを知らないは、youtube.comで、たとえば"j j cale"や"Cale Clapton After Midnight"と検索すると参考になるかもしれない。J.J.ケイルの全盛期を知りたい方には、まずデビューアルバムの「ナチュラリー」、次に5作目の「5(ファイヴ)」をお勧めしたい。(2006/11/12)


2006年中間選挙――民主党が上下両院を制する

 11月7日にアメリカで行われた中間選挙の結果、連邦議会でこれまで少数であった民主党が大幅に議席を伸ばし、12年ぶりに上下両院を制 した。共和党のブッシュ大統領が進めてきたイラク政策に対する批判票が、民主党に大きく流れた結果と見られる。これによって、民主党のナンシー・ペロシ院 内総務が史上初の女性下院議長に就任することが決まった。また、イラク戦争と戦後の治安維持を指揮してきたラムズフェルド国防長官が、中間選挙の敗北の責 任をとって辞任する形となった。主な選挙結果は以下のとおり。

 2006年中間選挙の結果――連邦議会選挙および州知事選挙
上院 下院 州知事
共和党 49(-6) 202(-27) 21(-6)
民主党 51(+6) 233(+32) 28(+6)
インディペンデント   (-1)

 この十数年のアメリカ政治の潮流を振り返ると、今回の選挙結果はどのように位置づけられるであろうか。共和党は、1994年の中間選挙で 「アメリカとの契約」と呼ばれる保守的な選挙公約を掲げて歴史的な勝利を収めて上下両院を制し、2000年大統領選挙ではブッシュ候補を当選させて、アメ リカ政治の保守路線を牽引してきた。今回の中間選挙は、その流れを逆転させたといえるかどうかはともかく、少なくともブッシュ流の保守政治に対してバラン スをとろうとする動きの現れと見ることは可能である。ただし、今回の選挙結果は、「小さな政府」をめざす共和党の基本路線に対する批判ではなく、あくまで も混迷を続けるイラク情勢に対する国民の不満を背景としており、民主党の政策路線が積極的に評価された結果とは言い難い。時事通信によれば、今回の選挙の 推定投票率は40.4%と中間選挙としては高い水準であり、2002年中間選挙を0.7ポイント上回っているが、その要因は、イラクの戦争が大きな争点と なり、無党派層が積極的に投票したためとみられる。

 下院議長に就任するペロシ議員は、キリスト教右翼に代表される保守派とは正反対に人工妊娠中絶や同性婚を容認するリベラル派の政治家で あり、ブッシュ大統領に対する最も厳しい批判者の一人であった。しかし、今後、民主党が議会で多数派となったことを受けて単純にブッシュ批判とリベラル路 線へ傾斜するかといえば、必ずしもそうとは限らないであろう。というのは、かつて1994年中間選挙の後、共和党保守派のギングリッチ下院議長の「行きす ぎ」が国民の不評を買って96年大統領選挙で共和党が勝てなかったように、もしこの先民主党リベラル派が「行きすぎ」た態度をとれば、中間選挙における せっかくの勝利を2008年大統領選挙につなげなくなる危険性が少なからずあるからである。したがって、今後は、ペロシ下院議長がブッシュ大統領に対して どのような態度をとるか、民主党がどのような独自の政策路線で国民の積極的な支持を集められるか、が注目されることになる。(2006/11/12)
(下院の数字を訂正、2007/5/30)

(参考資料)時事通信11月10日; CNN<http://www.cnn.com/ELECTION/2006/>; 産経新聞11月10日。
 
 

《2006年10月》 

全米人口、3億人を突破

 2006年10月17日、統計局は全米人口が3億人を突破したことを発表した。アメリカでは、現在7秒に1人が誕生し、13秒に1人が死亡し、31秒に1人が移民し、その結果、11秒に1人の割合で人口が増加している。(2006/11/24)

(参考資料)"U.S. population now 300 million and growing,"CNN.com.
 


(新刊案内)アメリカ政治外交と国際政治に関する新刊書籍

 今回は、最近先生方からお送りいただいた新刊の書籍を紹介したい。

(1)本橋正『太平洋戦争をめぐる日米外交と戦後の米ソ対立 』(学術出版会、2006年)。
 故本橋正先生は、2002年に逝去される数カ月前に、ご自身の専門的なご業績を上記のテーマで1冊にまとめる論文集の企画を手帖に書きとめてい た。本書は、ご遺族がその遺志を受けて編集・出版したものである。本橋正先生は、学習院大学名誉教授で、アメリカ外交史と太平洋戦争前後の日米関係をご専 門とし、代表的な業績として、『アメリカ外交史概説』(東京大学出版会、1993年)、『近現代国際政治史』(日本図書センター、2003年)などの著作 がある。

(2)砂田一郎『現代アメリカのリベラリズム――ADAとその政策的立場の変容』(有斐閣、2006年)。
 本書は、長年の間、現代アメリカ政治をとくにリベラルの役割に注目して考究してきた著者が、「民主的行動を目指すアメリカ人(ADA)」という リベラル派の代表的な政治団体の活動に焦点をあて、その政策的立場が時とともにどのように変化してきたかを、第二次世界大戦後から現在に至るまで跡づけた 研究書である。本書は、一般の日本人にはほとんど馴染みのないADAという一団体の活動に注目しつつ、明確な方法と丹念な資料調査に基づいて議論を進めて いるが、しかし決して瑣末な事柄に拘泥しているのではなく、そこから戦後アメリカ政治の全体像に迫ろうとしており、砂田先生の研究の「集大成」と呼ぶにふ さわしい内容となっている。(なお、文章は、平易で読みやすく、学部の学生にもそれほど難解な印象を与えないと思うので、私個人としては、研究書と教科書 の違いがわからないようなゼミの学生に推薦したいと思っている。)

(3)久保文明・砂田一郎・松岡泰・森脇俊雅『アメリカ政治』(有斐閣、2006年)。
 アメリカ政治についてのテキストとしては、阿部斉『アメリカ現代政治 第2版』(東京大学出版会、1992年)や五十嵐武士ほか編『アメリカの 社会と政治』(有斐閣、1995年)などがスタンダードであるが、それらのテキストは出版から10年以上が経過した。より最近のものでは、阿部斉・久保文 明『国際社会研究I 現代アメリカの政治』(放送大学教育振興会、2002年)を勧めたいが、これは放送大学大学院文化科学研究科の教材であり、学部の 1・2年生向きではないかもしれない。その意味で、今回新たに出版された『アメリカ政治』は、時機を得たものと評価できる。(実は、私自身まだ手にしたば かりでよく読んでいないのだが、来年度の講義「アメリカの政治」の参考文献の一つにあげたいと思う。)

(4)金沢工業大学国際学研究所編『核兵器と国際関係』(内外出版、2006年)。
 北朝鮮による核実験が世論の関心を集めている今日、私は、拙書『アメリカ外交と核軍備競争の起源』を出版したときに、冷戦が終わってもなお核兵 器の問題を考究する必要があるのかと問われたことを思い出す。冷戦後の世界においても、北朝鮮、イスラエル、イラン、インド、パキスタンなど、核兵器問題 を国防と同時に外交の手段として利用しようとする国は後を絶たず、核兵器に代表される大量破壊兵器が今日なお国際政治の主要問題の一つであることは確かで ある。本書は、第1部でイスラエルやイランを含む中東、オーストラリア、トルコ、ラテンアメリカ、モンゴルにおける「核の選択と放棄」をとりあげ、第2部 で「核の規制と管理」をめぐる諸問題を取り上げている。アメリカの安全保障政策や北朝鮮の核問題についての章が設けられていないが、むしろ本書の価値は、 類書では十分に扱われてこなかったような地域の政策に焦点を当てたことにあると考える。オーストラリアの章を担当され、本書をお送りいただいた福嶋輝彦先 生に厚く感謝したい。(2006/10/27)
 


北朝鮮のミサイル発射実験と核実験

 北朝鮮は、日本時間7月5日「テポドン2号」を含む一連のミサイル発射実験を敢行したことに続き、今月9日に地下核実験を実施したことを 発表した。これらの実験は、通常の国防努力や純粋な科学技術上の努力として説明されるものではなく、主にアメリカに向けられた政治的メッセージであると考 えられる。ミサイル発射実験は、アメリカ時間7月4日に行われており、明らかにアメリカ独立記念日にあわせた日程であった。

 アメリカは、2005年9月、北朝鮮が米ドルの偽造紙幣などで不正に稼いだ資金をマカオの銀行で洗浄(マネー・ロンダリング)している ことを理由に北朝鮮への金融制裁を課したが、その制裁が北朝鮮を追いつめることになった。おそらく、北朝鮮への制裁措置は、北朝鮮の人権状況を悪化させる が、それ以上に党や軍部の特権的な階層に実害を与え、不満を募らせることになったにちがいない。北朝鮮のミサイル実験・核実験には、そのような背景と、制 裁ばかりで直接協議に応じないアメリカへの非難の意味合いが込められていた。

 日本政府は、2002年の日朝平壌宣言でのミサイル実験凍結の約束に反して北朝鮮がミサイル実験を実施したことを厳しく非難し、国連安 保理で厳しい制裁を求めたが、このとき中国やロシアは強硬論に同調せず、アメリカを含む安保理理事国は日本ほどの危機感を感じていない様子であった。しか し、8月、9月には、北朝鮮が核実験を実施しそうだという観測が高まり、今月ついに北朝鮮が核実験を実施すると、中国も北朝鮮が忠告に従わなかったことに 怒りをあらわにし、10月12日には国連で北朝鮮制裁決議が採択された。ただし、安保理決議は、中国の要求を一部受け入れて非軍事的措置について規定した 第41条を明記したもので、目下のところ、アメリカも軍事的な制裁の姿勢を見せていない。

 専門家の間では、早くから今回の北朝鮮の核実験は、アメリカとの戦争に直結するような事態ではないとの観測が聞かれた。北朝鮮には、数 発の原爆をつくれる原料があると見られるが、それを搭載してアメリカ本土を攻撃できるだけのミサイル技術はないので、その意味ではアメリカにはまだ余裕が ある。一方、アメリカは現在もイラクに約14万人の米軍を駐留させており、しかもこの夏以来イスラム教スンニ派武装勢力による米軍への攻撃が強まっている ので、東アジアで新たな戦争を開始するだけの余裕はない。イラク戦争での米兵の死者数は開戦から2003年5月1日の戦闘終結までに139人であったが、 先月からの現在までの死者数もそれとほぼ同数であり、開戦からの総数は2771人にも達している。その他、アメリカは、イランの核問題も抱えており、かり に中国やロシアの反発を考慮に入れなくても、北朝鮮への軍事制裁に踏み切るのはたやすいことではないのである。

 アメリカとして最も懸念されるのは、経済的に困窮した北朝鮮がミサイル技術や核技術をテロ組織などに売り払うこと、および日本や韓国を はじめとする諸国に核拡散が進むことである。日本でも実際に核保有論が議論されるようになってきているが、アメリカにとってはそれこそ阻止しなければなら ない事態であり、ライス国務長官が訪日した理由でもあった。アメリカ政府としては、ミサイル防衛での協力強化という方向で日本を大人しく従わせたいところ であろう。(2006/10/23)

(参考文献)日朝平壌宣言<http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html>、「ミサイル発射は成功、北朝鮮外務省発表」『YONHAP NEWS(聯合ニュース)』7月6日、ロイター10月9日、毎日新聞10月13日、19日など)
 
 

《2006年7月》 

W杯ドイツ大会決勝戦とジダン(竹川宣行)

 9日(日本時間10日)ワールドカップドイツ大会の決勝戦が行われた。今回、優勝を争うのは、6大会ぶり4回目の優勝を狙うイタリアと、2大会ぶり2回目の優勝を狙うフランスである。

 この試合の注目は、フランスの国民的英雄で今大会限りでの現役引退を表明しているジダンと、イタリアのエース、トッティの司令塔対決であ る。試合開始早々、フランスがジダンのPKで先制。その後すぐにPKを献上したマテラッツィがCKからゴールを決めて同点とした。大会中徐々に勢いをつけ てきたジダンと大会直前に怪我から復帰したばかりのトッティ、二人の司令塔のプレー内容は対照的であった。ジダンは、持ち前のトラップやパスで試合を組み 立て、フランスを流れに乗せた。一方、トッティは、それまでの試合と同じく精彩を欠き、イタリアに流れを呼び寄せることができない。結局、トッティは途中 交代となり、試合は1対1のまま延長戦に入った。すると延長後半にジダンが、マテラッツィへの頭突きで一発退場となる。これでフランスから試合の流れが 去った。PK戦までもつれたものの、イタリアがジダンを失ったフランスを破り、世界王者に輝いた。

 決勝戦でのジダンの退場は、約1カ月にわたる本大会でも最も衝撃的なシーンであった。過去にも相手の足を踏みつけたり、今回と同じく頭 突きで退場そして出場停止になることが彼にはあった。世界最高のプレーヤーでありながら、試合中突然キレてしまうことも多い。後の報道によれば、ジダンが 頭突きをしたのは家族を侮辱されたことへの報復であるというが、現役最後の試合に、しかもワールドカップの決勝戦で彼がこのような行動をとってしまったこ とは残念で仕方がない。これまでジダンは多くのサッカーファンに夢を見させてくれた英雄であるだけに、何ともやりきれない気持ちの残る幕切れであった。 (2006/7/12)

(参考文献)『毎日新聞』7月10日など


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