国際政治・アメリカ研究

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目 次

《2008年6月》
(出版情報)『オンライン情報の学術利用――文献探索入門』

《2008年5月》
クラスター爆弾全面禁止条約案の採択

《2008年4月》
プロレス番組でヒラリー、オバマ、マケインが三つ巴戦

《2008年3月》
民主党予備選挙の接戦――特別代議員

《2008年2月》
ポスト・ブッシュの選挙戦

《2008年1月》
2008年大統領選挙始まる――予備選挙の前倒し傾向について
斎藤眞先生のご逝去について
 


《2008年6月》

(出版情報)『オンライン情報の学術利用――文献探索入門』

 先日、日本エディタースクール出版部から拙書『オンライン情報の学術利用――文献探索入門』が刊行された。本書は、本や論文や信頼の置けるインターネット・リソースなど、研究に役立つ多様な資料を効率的に探し出すためのオンライン情報活用術を紹介した入門書である。おもな読者層として、これから大学で専門的な勉強を始めようという初学者や、パソコンはそれほど得意ではないけれども必要だという社会人を想定している。64ページ。525円。

 本書は、副題に「文献探索入門」と書かれていることからわかるとおり、本や論文を読まずインターネットだけで論文を書く術を説いた本ではない。むしろ、昨今、たんにパソコンの操作方法だけを教えるような情報教育が、若者を図書館から遠ざけ、活字離れを助長しているのではないかという危機感から、オンライン情報と紙媒体の使い分けをきちんと説明するテキストが必要であると考えられた。

 正直なところ、このような本がなくても、学生に読書の大切さやしっかりとした研究態度を教えられるならよいと思うこともある。しかし、現実はなかなか厳しい。というのは、情報革命には人々の怠惰を誘う「甘い罠」がある。「本を読みなさい」と命じるだけでインターネットの適切な利用法を指導しなければ、学生は結局は易きに流れ、ググる(ネット検索)だけでレポートを書こうとする者があとを絶たない。ホームページを「コピペ」する剽窃行為(盗作)に罪の意識を感じない者さえいる。

 著者としては、読者諸氏、特に学生諸君がオンライン情報を上手に利用して文献探索を体系的・効率的に行えるようになり、結果的に少しでも多くの時間を良質な読書と考察のために費やしてくれればと思う。(2008/6/7)
 

《2008年5月》

クラスター爆弾全面禁止条約案の採択

 30日、ダブリンで開かれていた軍縮交渉「オスロ・プロセス」の会議は、クラスター爆弾全面禁止条約案を全会一致で採択した。クラスター爆弾は、上空で爆発すると多くの子弾が飛散し、戦域内の目標をとらえると同時に、目標以外のものも無差別に殺傷し、かつ不発弾が多く残って事実上の対人地雷のように地域社会の市民に危害を加えるという非人道性が問題視されてきた。条約案では、不発率が低く、自爆装置を備えて戦後に処理をしやすい最新型のみ対象外とされたが、以下の諸点で合意が成立した。

一、「最新型」爆弾の一部を除き使用、開発、製造、保有、移転を禁止する。
一、原則8年以内に在庫を廃棄する。
一、不発弾を10年以内に処理。爆弾使用国は処理に協力する。

 日本は、海岸線の長い島国であることから、敵の上陸を防ぐ手段としてクラスター爆弾を重視してきたが、国際世論の動向と福田首相の決断により方向転換し、土壇場で条約に参加する意思を固めた。アメリカ・ロシア・中国などの軍事大国は、これに先立ち1997年に署名された対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)にも加盟しておらず、クラスター爆弾全面禁止条約案をめぐる交渉自体に参加していない。署名式は、12月上旬にオスロで開かれる予定。(2008/6/8)

(参考資料)毎日新聞2008年5月30日など。
 

《2008年4月》

プロレス番組でヒラリー、オバマ、マケインが三つ巴戦

 大統領候補の接戦が続く中、ペンシルヴァニア州の予備選挙を翌日に控えた4月21日、ヒラリー・クリントン、バラック・オバマ、ジョン・マケインの3候補がプロレス団体WWEの番組「ロウ(RAW)」にビデオ出演し、視聴者に支持と投票を呼びかけた。WWEの人気レスラーにはニックネームや決め台詞があるのだが、3候補ともレスラーのパロディをまじえての挨拶となった。

 最初に挨拶したヒラリーは、今夜は「ヒル・ロッドと呼んで」と自己紹介をし、大統領選挙はその日行われる「キング・オブ・ザ・リング」決定トーナメントのようなものと触れながら、「でも、一つ違うのは最後に生き残るのが女性だということよ」とユーモアを交えた。必要とあらば人気レスラー、ザ・ロックの必殺技「ピープルズ・エルボー」も用いると宣言するなど、プロレス・ファン向けにはそこそこの演説であった。ただ、プロレス・ファンにもわかりにくかったのは、「ヒル・ロッドと呼んで」のくだり。これは、往年のレスラー、ロディー・パイパーのニックネーム「ホット・ロッド」とヒラリーのミドルネーム「ローダム」をかけたものと思われるが、やや難易度が高すぎた。個人的にはミスター・プロレス=ハーリー・レイスにかけて「ヒラリー・レイス」にした方がよかったと思うが、いかがだろうか。

 一方、オバマの挨拶は通常の選挙演説とそれほど大きな違いはなかったが、最後にザ・ロックの決め台詞をもじって「バラック様の妙技を味わえ!」と締め括った。ロックとバラックは韻を踏んでいるのでよかったが、プロレス・ファンは無茶をして身を削る人をリスペクトする傾向があるので、ややサービス不足の印象が拭えない。

 最後にマケインは、ザ・ロックの入場時の台詞をもじって「ついにマック様が戻ってきたぜ!」と挨拶をはじめ、往年の人気レスラー、ハルク・ホーガンの決め台詞「ハルカマニア(ハルク・ファン)が爆走するぜ!」をもじって「マケニアクスが爆走するぜ!」と言ってみたり、「オサマ・ビン・ラディンをアンダーテイカー(葬儀屋、地獄の墓堀人の異名を持つレスラー)に会わせてやろう」「マック様の妙技を味わえ!」などとつないで、最後にストーン・コールドのシメの言葉をもじって「ジョン・マケインかく語りき」と締め括った。当然、スタッフが裏で原稿を書いているのであろうが、マケイン自身、ボクシングの大ファンで、総合格闘技には批判的な立場だが意見を持っている人だけあり、見事である。

 ひょっとしたら、WWEはオーナーが共和党員だからマケインがおいしいところを持って行けるように設定したのか。知らない人はうがった見方と言うだろうが、ヴィンス・マクマホンならやりかねない。Youtubeに寄せられたファンの反応を見ると、大統領選挙がここまで大衆迎合になっていることを嘆くアメリカ国民も少なからずいるようだが、今回の舌戦はマケインの圧勝であった。(2008/5/31)
 

《2008年3月》

民主党予備選挙の接戦――特別代議員

 民主党の予備選挙は、史上稀に見る接戦となり、8月末の全国党大会まで結果がもつれ込む可能性が出てきた。オバマが勝てば黒人初、ヒラリーが勝てば女性初の大統領となる可能性があることもあり、国民の注目度は高い。しかし、民主党候補同士の戦いが長引き、互いに傷つけあえば、本選挙における共和党候補との戦いが不利になる危険性もあり、民主党幹部は気が気でない。

 民主党の候補者争いは、選挙戦序盤はヒラリーが優勢であったものの、2月5日のメガチューズデーでは決着がつかず、その後オバマが勢いに乗り、ほぼ互角の争いとなっている。3月4日のテキサス州の予備選挙ではヒラリーが勝利を収めたが、同州は「テキサス・ツー・ステップ(Texas Two-Step)」と呼ばれる予備選挙と党員集会の併用方式をとっており、党員集会の結果、代議員獲得数はオバマが逆転する結果となった。まさに民主党予備選挙の接戦と混迷を象徴する出来事であったといえる。

 通常、全国党大会は、それ以前の予備選挙・党員集会で当選が確実となった候補者が正式に指名を受け、演説を行う儀式となっている。ただし、厳密には、全国党大会で投票を行う代議員の中には、予備選挙・党員集会で選ばれた一般の代議員の他に、俗に「特別代議員(superdelegate)」と呼ばれる人々が含まれている。民主党の特別代議員は、現在は代議員全体の約20%を占めると規定とされており、正副大統領経験者、上下両院議員、州知事、その他の政党幹部など、今回は合計で796人である。彼らは、予備選挙・党員集会の結果にかかわらず投票することができるので、予備選挙・党員集会の結果が僅差の場合、可能性としては全国党大会での投票で候補者の順位を入れ替える力を持ちうる。

 予備選挙の結果にかかわらず投票できる代議員というのは昔から存在していたが、それが制度として整備されたのは1980年代の前半のことであった。それには1980年大統領選挙におけるカーターの惨敗がかかわっている。そのときの反省から、一般党員が選挙で選ぶ候補は必ずしも本選挙で勝つ上でベストの選択でない場合があるので、党の幹部にはあくまでも本選挙で勝てる候補を選ぶための力が残されるべきと考えられたのである。しかし、これは党の候補者選びを民主化し、一般党員の声を反映させようとして70年代に広められた予備選挙の考え方とは矛盾する面がある。実際、もし予備選挙の結果を特別代議員に覆されるとしたら、一般の有権者はいったい何のために予備選挙を行ったのかと不信に思うことであろう。

 このように、特別代議員は、予備選挙の結果を逆転させる潜在的な力を持たせるために制度化されたものであるが、民主主義の理念や有権者(一般党員)の反感を考えると、現実にその力を行使することには党として大きなリスクがあるといえる。そこで、16日、民主党のペロシ下院議長は「特別代議員票が(予備選の)選挙結果を覆すのは、党のためにならない」と述べ、テレビ番組を通じて特別代議員に予備選挙の結果を尊重するよう要請した(共同通信3月17日)。また、民主党全国委員会のディーン委員長は28日、通常は本選挙へ向けて党の団結と勢いを見せるはずの党大会でつぶし合いの戦いが行われれば有権者に背を向けられかねないと懸念し、特別代議員には「今から7月1日までに支持を表明してほしい」と呼びかけている(共同通信3月29日)。(2008/5/30)
 

《2008年2月》

ポスト・ブッシュの選挙戦

 ブッシュ大統領は支持率が極端に低迷しており、民主党のみならず共和党も含め、2008年選挙はポスト・ブッシュのアメリカを担う大統領は誰かという観点が重要となっている。2月5日の「メガチューズデー」の結果、共和党ではマケインの優勢がいっそう明確となったが、民主党ではヒラリー・クリントンとオバマの間で大差がつかず、予想外の長期戦の様相を呈してきた。

 民主党については、2004年にもポスト・ブッシュを賭け、ケリー、エドワーズの正副大統領候補が戦いを挑んだのであるが、成功しなかった。ケリー、エドワーズは、ブッシュ政権の経済政策を批判し、それが貧富の格差を広げ、「二つのアメリカ」というべき格差社会をもたらしたと糾弾した。しかし、その戦術はアメリカ国民に強くアピールしなかった。それは、一つには当時のアメリカ国民の関心が同性婚など道徳の問題とテロとの戦争に向けられていたからであるが、もう一つには「二つのアメリカ」という選挙戦のキーワードがアメリカの「分裂」「対決」をイメージさせる否定的なメッセージであったためと考えられる。エドワーズは08年選挙にも立候補したが、メガチューズデーを待たず1月末に早々に撤退しなければならなかった。

 近年、アメリカの二大政党はイデオロギー的凝集性を強めているが、それは一般国民、特に両党の中道派やインディペンデントから見れば、二つの政党の間に挟まれ、両側から身を引き裂かれるような居心地の悪い状況であると考えられる。そのことを例証するように、1990年代のアメリカでは、民主党のクリントン政権が推し進めようとしたリベラルな健康保険改革に反発した国民が議会選挙で共和党に票を投じたものの、共和党議会がその機に乗じていくぶん乱暴に保守革命を推し進めようとするとむしろ大統領に支持が集まるという状況が生じた。ヒラリーが抜群の知名度と知識と経験を持ちながら、民主党予備選挙で独走できなかった理由は、彼女が女性でありアンチが多いということもあるが、彼女の名前がそのような90年代の分割政府を連想させるからでもあると考えられる。

 このように、民主党員やインディペンデントの中には、「二つのアメリカ」というネガティヴなメッセージやクリントンという昔の名前を聞いても、民主党を熱烈に支持する感情がわいてこない人々が少なからずいる。これに対して、2004年の民主党大会で「二つのアメリカ」とは異なるポジティヴなメッセージを送って注目を集めた若い黒人の政治家がいた。08年選挙でヒラリーを急速に追い上げたオバマである。彼は、「リベラルのアメリカもないし、保守のアメリカもありません。存在するのはアメリカ合衆国だけです。黒人のアメリカも、白人のアメリカも、ラティーノのアメリカも、アジア系のアメリカもありません。存在するのはアメリカ合衆国だけです」と述べた。「変革」と一つのアメリカを訴えるオバマは、たとえ具体的な政策の内容が明確でないとしても、ポスト・ブッシュの担い手としては、最もわかりやすい政治家であり、それまで政治に関心を寄せなかった若者にまで熱心な支持者を増やしている。

 共和党候補については、昨年までの下馬評では、ジュリアーニ前ニューヨーク市長が高い支持を得ていたが、年末から支持が急落し、1月のフロリダ州での敗北後、早々に撤退を表明した。ジュリアーニは、911で全米の知名度を高めたが、それだけに対テロ戦争のイメージが強すぎ、ポスト・ブッシュという観点から新鮮さをアピールしづらい面があった。ロムニー前マサチューセッツ州知事は、資金力があり、経済政策に強い候補として善戦したが、宗教保守層を取り込めず、メガ・チューズデーの2日後に撤退を表明した。ハッカビー前アーカンソー州知事はキリスト教右派で、南部で善戦し、マケインに食らいついている。(3月4日にテキサス州など4州での予備選でマケインに敗北後、選挙戦からの撤退を表明。これにより、マケインの指名獲得が確定した。)

 共和党候補のマケインは、白人男性であるのみならず、もし当選すれば最高齢の大統領となる人物で、外交面でイラク戦争を支持してきたことから、ともするとポスト・ブッシュの大統領として新鮮みに欠けると見られるかもしれない。しかし、実際には、マケインは、一匹狼として知られ、2004年の大統領選挙で民主党のケリー候補の副大統領候補となる可能性が取り沙汰されたほどの異端児であり、安全保障を除く多くの問題――減税政策、移民政策、選挙資金規制、環境問題など――でブッシュの路線から一線を画してきた。その意味で、マケインは、高齢でありながら共和党内ではポスト・ブッシュのアメリカを担うにふさわしい存在となっている。中道派やインディペンデント、黒人や女性の大統領を不安視する浮動票を取り込む可能性も少なからずある。宗教右翼を中心とする共和党保守派の支持が弱いことが懸念材料とされるが、筋金入りの愛国者であることは確かで、共和党候補として指名を受ければ、本選挙で共和党保守派から敬遠されるようなことはないだろう。(2008/5/30)
 

《2008年1月》

2008年大統領選挙始まる――予備選挙の前倒し傾向について

 1月3日アイオワ州の党員集会を皮切りに、2008年大統領選挙戦が始まった。ポスト・ブッシュ政権への注目、女性候補や黒人候補への注目から、わが国のマスコミでも年末から大々的に取り上げられてきたが、これほど早い時期に報道が過熱することはいまだかつてない現象である。たしかに、アイオワの党員集会とニューハンプシャーの予備選挙は全米で最初に行われるものであるので、その年の選挙を占うという意味で州の大きさ以上に注目度が高くなる傾向はかねてから見られた。しかし、今回、異常とも思えるこの時期の報道の過熱ぶりは、実は各州の予備選挙の日程が全体的に前倒し傾向にあることが背景となっている。そのことは、連邦制をとるアメリカ合衆国で政治力を確保したいという各州の思惑が大きくかかわっている。

 アメリカの大統領選挙は人口に応じて州ごとに割り当てられた選挙人を勝者独占方式で奪い合う方式であるため、放っておけばニューヨーク州やカリフォルニア州など人口の大きな州での勝敗が大勢に影響を与える。そのため、大統領選挙の候補者には、小さな州(内陸部・農村部)の住民よりも大きな州(沿岸部・大都市部)の住民にアピールできる争点や政策を探そうとする傾向が生ずる。南部の諸州はこれに危機感を抱き、1988年選挙で州の投票日を3月の同じ火曜日に集中させることによって南部の発言力を確保しようと考えた。これが「スーパーチューズデー」の始まりである。その後、ニューヨークとカリフォルニアが南部に対抗して同日選挙を行うようになり、2000年、2004年選挙では事実上スーパーチューズデーが3月に2回行われる形となった。しかし、こうなると予備選挙は事実上そこまでで終わってしまい、3月中旬以降の日程で行われる州の選挙は「消化試合」となりかねない。

 このような背景において、2008年選挙では各州がこぞってスーパーチューズデーに加わり、かつ例年よりも日程を前倒ししようとする傾向が生じた。2月5日という早い時期に設定されたスーパーチューズデーは、民主党22州、共和党21州が参加するというかつてない大規模なものとなり、「メガ・チューズデー」とも呼ばれる。今回の予備選挙は、2月上旬にも終わりそうな見込みとなった。これでは、年末年始から報道が過熱するのも無理はない。

 一方、その他の州がこれに対抗するには、選挙の日程をメガ・チューズデーよりもさらに早く設定するしかない。民主・共和両党は、そうした事態を防ぐため、2月5日以前に予備選挙の日程を前倒ししないようにルールを定めた。しかし、ミシガン、フロリダ両州は、そのルールを破って予備選挙を1月15日と29日に前倒ししたため、民主党執行部は懲罰として選挙結果を無効とすることに決めた。ただし、これは結果的に、ミシガン、フロリダ両州で勝利したヒラリー・クリントン候補に不利な裁定となり、問題となっている。(2008/5/30)
 


斎藤眞先生のご逝去について

 1月16日、戦後、日本におけるアメリカ研究の重鎮、斎藤眞先生が慢性気管支炎のため逝去された。享年86歳。私は過去(2002年7月)にこのホームページの記事に、「私のように学界の末席にいるものには遠い存在で、親子以上に年の差があり、私が一方的に献本したことがあるだけで面識はない」と記したが、より厳密には、斎藤眞先生は、面識のない私にもわざわざ献本のお礼状を、しかも葉書ではなく封書で送ってくださる温かいお人柄であった。

 斎藤眞先生は、1921年、英文学者斎藤勇の次男として生まれ、太平洋戦争勃発の直前、1940 年に東京大学法学部で「米国憲法歴史及外交」、通称「ヘボン講座」を受講した。ヘボン講座とは、ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士の親戚が日米友好のために設置基金を寄付し、1918年に新設された講座で、日本におけるアメリカ研究の源流をなすような大学の授業科目である。ヘボン講座は、美濃部達吉先生、新渡戸稲造先生、吉野作造先生によるアメリカ憲法、歴史、外交についての記念講演によって祝福された後、日本におけるアメリカ研究の草分け、高木八尺先生によって担当されていた。一方、斎藤眞先生は、アメリカ政治外交史の分野で研鑽を積み、ハーヴァード大学でルイス・ハーツ教授の薫陶を受け、帰国後、高木先生の後を受けて東京大学でアメリカ政治外交史の講義を担当するようになった。クリスチャンでもある斎藤眞先生は退官後、国際基督教大学で教鞭を振るった。

 私が大学生の頃、斎藤眞先生の業績の中で最初に通読したのは『アメリカ政治外交史』(東京大学出版会、1975年)であった。これは、いわゆる大学用のテキストであるが、私は確かに昨今のテキスト類を読むのとは異なる強い印象を受けたことを覚えている。一つ一つの文章、というか一言一言が重く、なおかつ文章全体が堅固な建造物のように構築されているのである。初学者の私は、そこに書かれた内容を表面的にしか理解できなかったと思うが、とにかく学者の書く文章の重みに印象を深くした。そして、「あとがき」を読み、「本書執筆を志してから、何と十五年以上になる」という告白を目にして、よくわからないなりに妙に納得したことを覚えている。『アメリカ政治外交史』の「あとがき」には、「もし本書を通じて副題をつけるとすれば、『自由と統合』ということになろう」と書かれているが、その副題はそれから17年後、最後の単著となった『アメリカ革命史研究――自由と統合』(1992年)で採用されている。けだし、アメリカの「自由と統合」は、先生の生涯の主題であったのであろう。

 アメリカ外交史研究を志した私としては、斎藤眞先生の著作の中でも特に『アメリカ外交の論理と現実』(東京大学出版会、1962年)や「アメリカ外交の原型――建国期アメリカの対外意識」(慶應義塾大学地域研究グループ編『アメリカの対外政策』鹿島研究所出版会、1971年所収)から学ぶところが大きかった。斎藤眞先生のご冥福をお祈りしたい。(2008/2/22)
 


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