THE AMERICAN MUSIC: Blues, Jazz, Rock
 


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 番外編――レス・ポールの想い出

  アメリカが好きでないひとでも、アメリカン・ミュージックを愛することはできる。自由と差別、繁栄と貧困・・・・。  
  アメリカの光と影がうみだす素晴らしい音がそこにある。                                      
  

    父親と一緒にニューヨークを旅行し、ジャズクラブ「ファット・チューズデー」でレス・ポール・
  トリオの演奏を観たのは、1992年8月10日の夜だった。小さなクラブで、ステージまでの距離はほ
  んの数メートル。そこに「エレキギターの父」とも呼ばれるあの伝説のレス・ポールが生で演奏し
  ている。当時レス・ポールは77歳だったが、そのステージは本当に見事なものであった。演奏の
  終了後、ポスターにサインをしてもらったが、「To Nishioka, Hi」と書かれたそのサインは現在でも
  書斎の壁に飾っている。

   昨日、久しぶりに両親が我が家を訪れ、父親のリクエストでレス・ポールの CDを聴いていると、
  母親が「そういえば、レス・ポールも亡くなってしまったわねえ」とつぶやいた。「えっ!?」と
  聞き返す私に、「何、知らなかったの?」という母親。レス・ポールが亡くなったのは、2009年8月
  13日、今から半年も前のことであった。享年94歳。私はこのニュースをなぜか見逃しており、今
  更ながらこの記事を書いている次第である。

   レス・ポールは1951年に「How High the Moon」で全米ヒットチャートNo.1に輝いた。ただ、彼の
  名前は、それよりも彼の名前を使ったギターのモデル名として世界的に有名になっている。レス・
  ポールというギターはもともと1952年にギブソン社が彼と共同開発したモデルであり、その後その
  モデルを各社が模倣した結果、現在では最もポピュラーなエレキギターのモデルとなっているのであ
  る。また、ロックやポップスなどの音楽でよく使われている穴の空いていない一枚板のエレキギター
  (ソリッドギター)は、彼が1941年に開発したThe Logというギターが原型とされている。さらに、
  レス・ポールは、多重録音の発明者でもあり、初めて8トラックレコーダーを製作したことでも知ら
  れる。エレキギター(ソリッドギター)と多重録音、この二つの発明がなければ、今日のロックやポ
  ップスも存在しなかったといっても過言ではない。

   コンサートの後、サインをねだりにレス・ポールのもとへ行き、「あなたの演奏を聴きに日本から
  やってきました」というと、「あ、そう」という感じでやや素っ気なかったが、彼にしてみれば珍し
  いことではなかったのであろう。日本経済新聞(1995年2月10日)には、次のようなインタビュー
  記事がある。「ファット・チューズデーにいると、いろんな人たちに会える。この間は、死ぬ前にレ
  ス・ポールを聴きたいからって救急車で運ばれてきた重病人がいた。驚いたね。ベッドを壁に立てか
  けて、体がずり落ちないように縛り付けられたまま、聴いていたよ。涙を流しながら」。もちろん、
  彼の生演奏を聴けたことは、私にとっても生涯の想い出である。(2010/3/16)

 

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