国際政治・アメリカ研究


 


「アメリカ研究の旅路の終わりに :

五十嵐武士著『グローバル化とアメリカの覇権』」


西岡 達裕


(桜美林大学『 桜美林論考 法・政治・社会』第5号、2014年3月)*

* 本号は五十嵐武士先生の追悼号として刊行された。


全文公開中=桜美林大学学術機関リポジトリのリンク先<http://id.nii.ac.jp/1598/00000786/>


"On the Final Stage of a Journey of American Studies:
Takeshi Igarashi, Globalization and U. S. Hegemony (2010),"

NISHIOKA, Tatsuhiro

Division of Law and Political Science,
J. F. Oberlin University,

The Journal of J. F. Oberlin University, Law, Politics and Sociology, Vol. 5 (March 2014)


 はじめに――本書の構想

 「アメリカは『帝国』なのです」。昨年(2012年)、五十嵐武士先生は、
学内で偶然に会った評者をラウンジに誘って、開口一番そう話し始めた。
「それは、マルクス主義的な『帝国主義』とは別の議論ですね」。「そう
です。それとはいっさい関係なく、アメリカがごく一般的な言葉の意味
で、古典的な帝国だということです」。実は、評者は、今年度秋学期か
ら学士課程で「アメリカの社会」という講義を担当していただくよう先生
に依頼していたのだが、その打ち合わせを兼ねての雑談であった。

 「領土の広大さ、多民族性などの点から見て、アメリカという国には建
国の当初から帝国としての性格がありました」。そう述べる先生に対して、
評者は、「アメリカが古典的な帝国である場合、ナショナリズムが強い
ことはどう説明できるでしょうか」と質問をぶつけてみた。アメリカに
は共和国としての性格もあるから、と応える代わりに、先生が「ナショ
ナリズムが強いと言っても、国家のために実際に血を流しているのは、た
いてい『内なる植民地』の黒人やヒスパニックでしょう。古典的な帝国
と変わりませんよ」と即答したのは流石であった。

 「私[五十嵐先生]はいま狭い意味でのアメリカ研究には興味がなく、グ
ローバル・ガヴァナンスに研究の関心が移っています。ただ、アメリカ
の国家としての性格を問題として、『帝国』としての性格を持つアメリ
カの国家・社会がグローバルな社会とどのように関係しているか、とい
う観点からであれば、私の研究の内容とも合致しますので、そのような
設定でよろしければ『アメリカの社会』について講義できます」。今年
5月に逝去された五十嵐先生の幻の講義「アメリカの社会」は、明らか
に近著『グローバル化とアメリカの覇権』の内容に基づくものとなるは
ずであった。

 本稿でとり上げる『グローバル化とアメリカの覇権』(岩波書店、2010
年)は、日本を代表するアメリカ研究者の一人、五十嵐武士先生の最後
の著作である。ただし、晩年の著者は、回顧録「『アメリカ研究』の旅
路」のなかで、学会の基準に照らして自分は「果たして専門的なアメリ
カ研究者と呼べるのか」と自問していた。

 五十嵐先生の研究は、建国期の歴史に始まり、十年前後の期間ごとに研
究のテーマを変えて、日米関係、レーガンの政治、そしてグローバル化
の問題にたどり着いた。それとともに、研究の方法についても、歴史学
から比較政治、国際政治学へと新たな領域に足を踏み入れてきた。そして、
本書を書いた頃には、米中枢同時多発テロ事件の発生とそれに続くアフ
ガニスタン戦争、イラク戦争の勃発を受けて、「グローバリゼーションの
研究をむしろ主として、その中にアメリカの研究を位置づけるようにし
なければならない」と決意するようになっていた。なぜならば、それらの
出来事を「単純にG・W・ブッシュ政権の対外政策のせいにするばかり
では、時事評論の域を出ず学術的には底の浅いもの」とならざるをえず、
「学術的な課題として設定するには、グローバリゼーションが変容させ
ている世界情勢の構造との関係を抑えて分析する視点や、アプローチ
を考案せねばならない」と考えられたからである。

 かくして、本書の課題は、「アメリカがなぜ、またいかに、グローバル
化を推進してきたのか、そしてグローバル化がもたらした事態にどのよ
うに取り組んできたのかという、現代の国際情勢の中核に係わる問題を、
考察すること」(2頁)とされた。ただし、それと同時に、著者は、「ア
メリカの強大な覇権の下で行く道を方向づけられた日本で、日々押し寄
せるアメリカ発の現代文明に浸潤される生活」を送ってきた自分自身の
宿命を感じつつ、「本書は自らの人生にどんな意味があるのかを探求す
る、ささやかな試みでもある」(6頁)と述べている。

 そこで、評者は、書かれている内容に沿って本書の紹介・批評をしたう
えで、最後にアメリカ研究者としての著者の経歴との兼ね合いについて
も若干の考察を行うことにしたい。


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